本屋へ行くと、まずコミック本のコーナーへダッシュ。学校の図書館から本を借りてはくるが開いている姿を見たことはない。昨夜読んだはずのドラゴンボールを登校直前までもう一度なめるように読んでいる。23歳と20歳の息子たちは、そんな小学生だった。
子供は親の背を見て育つというが、夫も私もマンガは読まない。本好きの私の子どもたちの姿がこのありさま? でもまぁ、強制されて読む本なんて面白いはずがないし、強要しても仕方がないと半ば諦めていた。
そんな頃のある日ふと思い立って子供たちの布団の間に割り込み、頼まれもしないの
に私は声を出して童話の本を読み始めた。「いったい何?」といぶかしげな息子たち。
2人ともすでに小学生になり、読み聞かせなんて随分久しぶりだ。もう聞いてくれないよね? そう思いながら読み始めたはずだった。意外にも翌日も次の日も「今日も読んでくれる?」とオファー。ささやかな快感!
かくして本棚で眠っていた『日本昔ばなし60巻』が久々に引っ張り出されることになった。
わが子を膝に乗せ優しい声でゆったりとお話を聞かせてあげる母親。そういう姿に私は結婚前から憧れていた。子供が好きだったし、私もそんな「おかあさん」になる予定だった。しかし、いざ子育てが始まってみると、ひたすら慌ただしく過ぎていく毎日。長男に絵本を読み始めたかと思うと、あらら次男が「オシッコ!」と呼んでいる。目は文字を追っていながら頭の中は今夜の夕食メニューに悩む日常。思い描いていた母親像には、なかなか近づけなかった。絵本を読んであげるより自分の読書時間が欲しくて子供を寝かしつけるべく背中にくくりつけ、ゆらゆら揺らしながら文庫本を読んだこともあった。そんなこんなの肉体労働としての子育て期も終わり、読み聞かせなど過去の思い出になりかけていた頃の「お話タイム復活」だった。
自分で本が読める年齢になっても、素人の
拙い読み方であろうと、耳で聞くお話には何
か独特の魅力があるのか2人は吸い込まれる
ように聞いてくれた。TVアニメを一心不乱
に見つめる時とは別の真剣さで。あれほど漫
画一辺倒だったのに本棚の前で「今日はどれ
読んでもらう?」なんて2人で話している姿
が何だかこそばゆかった。
事の発端はほんの思いつき。久しぶりに童
話の本を私が声に出して読んでみたくなった
だけ。教育的な思惑や打算は何もなかった。
でも期せずしてイイ感じの展開に私は心の中
で小さくピースサイン。
親が本を読む姿は子供たちが物心つく前から見せてきたが、本の中の世界に引き込まれていく「ときめき」を伝えることを忘れていたかもしれない…と、その時やっと気づいた。うっかり取りこぼしたまま通り過ぎるところだった。何はともあれ息子たちが夜の新しい日課を楽しみにしている様子が嬉しかった。
さて、その後、彼らは本が大好き子に成長しました。…などと美しく展開しないのが現実。思春期以降の息子たちは本など見向きもせず、本といえば、音楽やファッションの雑誌ばかりの学生生活を謳歌。親との会話はどんどん少なくなり、何か言えば親を罵倒するような言葉が返ってきて親子喧嘩に終わるだけ。寂しくないといえば嘘になるが、これも男の子の母親の宿命と割り切るしかなかった。
ところで、今年の春先、大事件が起きた。社会人1年生の長男が日々続く長時間労働で心身のバランスを崩し、入社1年目が終わろうかという23歳の誕生日の深夜、会社を出た後、姿を消した。まさかの事態が何度も頭をよぎった。幸いにも数日後やつれた表情で帰宅。自ら心療内科をネットで探しアポを取り受診。即座にドクターストップがかかり2ヶ月半の休職。本人はもちろん傍で見守るしかない親にとっても辛く長い2ヵ月半だったが、その間に彼は突然本好きに変身した。激しい心身の疲労と落ち込みの中から徐々に回復していくのを手伝ったのが良き友人たちと本だったように思えて仕方がない。気がつくと部屋にいろんなジャンルの本が増えていた。
転職し新たな職場で生き生きと仕事を始めた今も、読んだ本のメモをこまめに取っている様子。見たことがなかった姿だ。まだまだ読みたい本があると言う。通信教育も始めたようだし、何だかとても前向きだ。
蒔いた種はいつ実るか、あるいは芽さえ出ぬか、それは誰にもわからない未知数。布団で本を読んであげた始まりは親の気まぐれ。「種まき」を意図して本を読んであげたわけではないし、何らかの「実」を結んだという手応えもない。でも、それでいい。まだ無邪気だったあの頃、本を媒介に息子たちと心和む時間を共有できた思い出だけで、今、母は勝手に、そして十分に自己満足している。
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