その女の子は、僕が勤めている会社から歩いて五分のところにある本屋で働いている。彼女はいつも顔を伏せている。僕がレジに本をもっていっても俯いたままレジを打ち、決して目が合わない。本棚で作業をしている時は、他のものは一切目に入らぬというふうに没頭している。本だけが、彼女に正面から見つめてもらえる。他の店員さんには笑顔があり、挨拶の声も大きいのに、彼女だけは小声で雰囲気が暗く、というかどこか超然としていた。
ここ三ヵ月の間、僕はほぼ毎日昼休みにここの本屋で本を買っていた。僕は彼女に恋をしていた。おかげで僕の部屋の本棚は本でぎっしりになっている。知りたくもないけれど、
この三ヵ月間、本だけで恐ろしいほどの出費をしていると思う。
僕がひどく幼い恋をしていることは、自分でもよくわかっている。このままでは何の進展もない。ではどうすれば? 話しかけてみようか。
僕はナンパだってしたことがある。だが僕がこれまでにナンパしたのは、本なんか読みそうにない頭の悪そうな女の子ばかりで、本しか目に入らないような彼女にどう話しかければいいのか、僕にわかるはずもない。ではどうすればいい?
何度目の訪問なのかは定かではないけれど、昼休み以外の時間帯に僕が彼女を訪ねたのは、その日が初めてだった。
「あのう」
文庫本の品出しに没頭していた彼女に声をかけた。彼女はゆっくりと顔を上げる。
「私、○○商事の者です。セキュリティシステムを取り扱っているのですが、今書店さんを担当させていただいています。今扱ってらっしゃる防犯カメラについて現場の方のご意見、ご要望に興味があるのですが、少しお時間いただけないでしょうか?」
苦渋の決断だった。僕の会社は防犯カメラの販売店で、書店のお客さんもいる。自分が営業マンだということを思い出して自らを鼓舞したものの、ここでつまづくと、もう次がない。ここであっさり断られ、しつこい営業マンになって二回目以降足を運ぶ勇気は、僕にはない。
彼女の表情からは何も読みとれなかった。沈黙が怖くて、僕がしゃべりかけた時、
「店長を呼びますので少々お待ちください」
こういう顛末が怖くて、僕は現場の方といったのに…………。彼女はさっと背を向けて奥へいってしまう。
現れたのは、黒縁の眼鏡をかけた陰気な男だった。
「店長の△△です」
名刺交換を済ませると、僕は奥の従業員室に通された。開口一番、彼は僕に引導を手渡すようなことをいった。
「あんたさあ、うちの女の子狙っているでしょう。うちの防犯カメラ映りがいいからさ、あんたが何かたくらんでる顔がよく見えるんだわ」
机の上には、防犯カメラのモニターが置かれている。ここから、この小男は僕の三ヵ月間の苦悩をのぞき見していたのだ。
「あの子もさ、あやしい人がいるって怖がってっからさあ。もう来ねえでくれるかな。いつも買ってくれんのはありがたいけど、いつだったか、もう辞めたいとまでいわれたし」
僕の目はモニターに釘づけだった。
モニターに映っているその女性は、僕の知っている、もの静かで控えめなあの子ではなかった。お客にも、同僚にも、笑顔、笑顔。その影像を通して、彼女の元気な声まで聞こえてきそうだった。自分をじろじろ見つめるあやしい男が店内にいる時、彼女は怖くて縮こまっていたのだ。そして僕は、そんな彼女を謎めいた魅力的な女性だと恋焦がれ、ますますじろじろ、それがこの三ヵ月間だ。
「あと、防犯カメラだけど、うちはつきあいある業者あるから、営業来ても無駄だよ」
僕があまりにも見つめるものだから、店長はモニターのスイッチを切ってしまった。
最近、買った本をちゃんと読み始めた。ちょっと勇気を出して、この失意のどん底まで自分をつき落とすために僕が費やした額を計算してみた。恋なんかしないで海外旅行へいってたら、アジア内なら往復の航空券が買えるくらいは費やしていた。その出費がたいしたことないのか、とんでもないのか、それはわからない。ずっと後まで響くのは、お金のダメージなんかではないのだから。
転んでもただでは起きない根性で、これを書いた。できれば賞金も欲しいな。これから時間をかけて、この大量の本を読もうと思う。読了するまでには次の女の子が現れる。そう信じて。
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