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HOME > 読書推進活動 > 第6回「家の光読書エッセイ」入選作品

読書エッセイ 入選作品

第6回入選作品(敬称略)
   
家の光読書エッセイ賞
 
ないしょのカップラーメンと読み放題の日 山形県・加藤美穂子 
   
優秀賞
 
母の焼くおだんごぱん 埼玉県・水野良恵 
かっぱらい 千葉県・小池信雄
本棚のしょう油 京都府・池田久輝
   
佳作
 
太宰治『晩年』の思い出 神奈川県・和田一美
本屋のあの娘   愛知県・因幡健太郎
パパはまほうつかい、ママは魔女?    福岡県・菊川眞由美
布団ドームの思い出 長崎県・陣内圭二
ブラジル・武内正子

第3回第4回第5回の入選作品についてはリンク先を参照してください


家の光読書エッセイ賞

ないしょのカップラーメンと読み放題の日 加藤美穂子 55歳 山形県
「今日お父さんは出張です」と、私が恭しく告げると、五歳と二歳の娘たちは、小躍りして「やったあ!」とあからさまに喜ぶ。夫は「お父さんが留守だというのに、やったあとは何事だ。さては、みんなで何か企らんでいるな?」と、ちょっとおどけたふりをして、ジロリと娘たちをにらんだ。娘たちがはしゃぐのも無理はない。今日は、二ヶ月に一度あるかなしかの、お父さん出張の日限定の待ちに待った『読み放題の日』なのだから。
 夕方六時になると、食卓に、三種類のカップラーメンが並ぶ。そっちこっち味見をしながら、聞きたがりの長女が聞く。「どうしてこんなにおいしいもの、お父さんがいる時食べられないの?」「それはね・・・」と、私は声をひそめる。「お母さんが職務怠慢って叱られるからよ」「ショク・ム・タイ・マン?」と娘たちは素っ頓狂な声を上げて顔を見合わせる。お父さんがいる時にはご法度のカップラーメンは、娘たちにとっては禁断のご馳走に思われた。後片付けもなく、即布団に入って、「さあ、読みたいだけ持ってらっしゃーい」と、私が号令をかけると、娘たちは、ちょこまかと、本棚とお布団の間を往復して、枕元に本の山を築いていく。姉が「私はこれ全部読む!」と、身長の半分も積み上げれば、真似したがりの妹も「私も全部!」と、これまた同じくらいの本を、積み上げる。読み放題は、とにかく時間も冊数も制限無しだった。
 私は、両脇に娘を従えお布団に入り、「次はこれ!」と、左右から差し出される本を、次々読んでいく。ひたすら読み続ける私と、ひたすら眺めては聞き入る娘たち。どちらかのエネルギーが切れるまでの持久戦だ。時には、私のほうが危うくなって、顔の上に、バサッと本を落としたり、二度読みしたりして、娘たちから「ちゃんと読んで!」の叱責を受けることも。「すごいねえ!」と、時々大げさに反応したり、質問したりするのは、決まって長女。次女は、それに釣られて、よくわかってないまま反応だけを真似る。それがまた何ともかわいらしかった。気に入った本の後には、「お父さん、もっともっと出張があるといいのにね!」「そうね!」「うふふ・・・」と言って、体をすり寄せながら、三人で笑いあった。三時間も読むと、大概は、両脇から安らかな寝息が聞こえていた。朗読が好きで、活字を読んでいれば幸せの私と、お話が好きで、絵本を読んでもらっていればご機嫌の娘たちの、利害関係がピッタリ一致した、この上もない幸せな光景が、見飽きない映画のワンシーンのように、鮮明に思い起こされる。二○年近くたった今でも。
 その頃、我が家には、普通の家としては異例の五○○冊を超える絵本があった。と言うのは、長女が三歳の終わり頃、中耳炎がきっかけで、左耳の感音難聴が見つかり、右の耳も、いずれ中途失聴の恐れがあると、医師から宣告され、その時、私が「いずれ聞こえなくなるなら、今のうちに、お母さんのいい声で、楽しいお話を思う存分聞かせておこう!」ということと「聞こえなかったら、勉強の手段は、活字しかないから、早くから本好きにしておかないと!」と思ったからだった。リストを頼りに、たくさんのいい絵本が集められ、プレッシャーの中での読み聞かせが始まったが、長女が好きな本は、マウリ・クンナスや長新太といった、とかくユーモアにとんだ愉快な絵本が多かったので、いつも笑いに付き合わされた私は、次第に愚かなプレッシャーから解放されていった。
 読み放題の日は、いろいろな本に出会い、その中からお気に入りを発掘する機会でもあり、その本は、普段の日に繰り返して読むというように、娘たちの中では位置づけられていたらしい。記憶に残るのは、ユリー・シュルヴィッツの『よあけ』(福音館書店刊)。あまりにも徹底して読まされるので、三三四回と、思わず記録してしまったほどだ。「明日は早いんだからさっさと寝なさい!」とお父さんから言われて、思う存分本を読めない日頃の憂さを晴らしに、必然的に読み放題の日が生まれ、しっかり定着していったことは確かだ。娘たちには、お父さんにないしょのカップラーメンとセットというのが、秘密めいていて、何よりの魅力だったに違いない。それを物語るように、読み放題は、普段の読み聞かせよりもずっと長く、長女が高校生になっても、面白がりながら続いていたから。
 その後、大学受験や就職という試練の場でも、いろいろ本に助けられ、今年、長女は中学の国語の先生になった。楽しいお話をたくさん届けられた耳は、医師の宣告したようには、終ぞ悪化しないですぎた。そして私は、子どもたちに本の楽しさを届けるのが仕事になった。さらに、大学と就職とで、それぞれに暮らす娘たちとは、離れても心は本で繋がっていたいらしく、宮部みゆきの文庫本を回し読みして、読書の楽しみを共有している。もちろん今度は、お父さんも仲間に入れて。

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優秀賞

母の焼くおだんごぱん
水野良恵 31歳 埼玉県
 「最近はもうパンはこねないの?」
 初めての出産で、実家に里帰りしていたときのことだ。産まれてきたばかりの小さな小さな赤ん坊を抱きながら、私は母にそう尋ねた。母が毎日のように使っていた赤いガスオーブンが、台所の片隅に追いやられている。パンをこねてそれをそのオーブンで焼くことは、母の日課であったはずなのに。
  私や姉が小さい頃から、母は毎晩のようにパンをこねた。卵、小麦粉、バターやひとつまみのお塩なんかをボウルでまるめて、力いっぱいばんばんとテーブルにたたきつける。ここが肝心、と母はよく言っていた。そうしてそれを、翌朝オーブンで焼くのである。私たちはいつだって、パンが焼けるそのこうばしい匂いで朝を迎えた。当時は、それを当たり前のことだと思っていた。
「こんな贅沢はないぞ」
 と、出勤前の父が口癖のように言ったが、そんなものかなあと、日常のこととしてやり過ごしていたくらいだ。それでも母が焼くパンが、私は大好きだった。なにしろああして母がパンを焼くようになったのは、ほかでもない、私の駄々から始まったのだから。
  私たちがもっともっと小さかった頃の母の日課と言えば、それは私と姉に本を読み聞かせることだった。母はそれこそたくさんの本を読んでくれたが、その中でも私が好きだったのは、『おだんごぱん』というロシアの民話。おばあさんとおじいさんが「こなばこをごしごしかいて」つくったおだんごぱんが、ころころころころと逃げだしてしまうお話である。くまやうさぎやおおかみのところも、おだんごぱんは得意の歌で上手に逃げる。けれどその歌を褒められてすっかり上機嫌になったおだんごぱんは、とうとうずるがしこいきつねにぱくりと食べられてしまうのだ。その、ぱくりと食べられてしまってまんまるではなくなったおだんごぱんの、しまった! という顔が、大好きだった。きつねしか食べられなかったおだんごぱんは、一体どんな味なんだろう。ふかふかして、もちもちして、すごくおいしいんだろうなあ。すっかりおだんごぱんの虜になってしまった私は、「おだんごぱんが食べたい」と散々駄々をこねて、母を大いに困らせたらしい。結局母は、これがおだんごぱんだよ、と言って、まんまるのパンを作ってくれた。それが、母のパンの最初である。
  それは外の皮がぱりっとこうばしく、中の生地はもちもちっとやわらかくて、ほのかにイースト菌の匂いがするパンだった。スーパーで売っている四角い食パンなんかとも、デパートのパン屋さんに売っているちょっと値段の高いブールとも違う、母の手づくりの素朴なまるパン。以来、そのパンを母は幾度となく焼き続けた。
「また母さんのパン食べたいな」
 そう言う私に、母はそうだねえ、と言って、
「それじゃあ、お前が赤ちゃんと帰る日に、久しぶりにパンを焼こうかな」
 と、言ってくれた。
  その日が来た。赤ん坊はまだ夜中だろうがなんだろうがおぎゃあおぎゃあと泣くのである。実家が最後だと言うその日も、わが子は明けがたに起きておっぱいを欲しがった。はいはい、と言いながら赤ちゃんにおっぱいをあげていたときだ。階下の台所で、なにやらガチャガチャと音がする。見に行くと、母がいつものエプロンをして、赤いガスオーブンをガス台に乗せているところであった。まだ明け方3時過ぎである。思わずそれを手伝うと、オーブンは思いのほかずしりと重い。こんなに重たいオーブンで、しかもこんなに朝早く、母はパンを焼いていたのだ。
「今日はおばあちゃん、あなたのためにパンを焼くからねえ」
 母はしわだらけの目を細めて、私の腕の中の赤ちゃんに言った。
  焼きあがったパンを、久しぶりに食べてみた。やっぱりおいしい。だけど。
  昔とは違う。
 昔はもっともっと、もちもちっと弾力があったのだ。
「やっぱりダメだね。もう手に力が入らなくなっちゃって。こね方が甘いんだよねえ」
母はすぐにそう言った。
「そんなことないよ。もちもちだよ」
 私はそれをぱくぱくと食べたが、なんだか切なくなったのだ。母はいつのまにか、年をとっていた。
  実家を発つ直前、私は押入れから『おだんごぱん』の絵本を探しだした。何度も何度も母のところに持って行って、何度も何度も読んでもらったその本。もうぼろぼろになって、背表紙のところなんてテープで留めてあるのだ。私も、子供にこの本を何度も何度も読んであげたい。おいしいパンも焼いてあげよう。
  帰りぎわ、パン、ありがとう、と母に言うと、母はしわだらけの顔で、どういたしまして、とにっこり笑った。

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かっぱらい 小池信雄 67歳 千葉県
 あれは、戦争が終わって間もない夏の日の夕暮れのことだった。
 小学校に上がったばかりの私は、毎日のように中央線西荻窪駅周辺の闇市に繰り出していた。小学生の悪ガキ、チャリンコグループのメンバーだったからである。チャリンコといっても、今のように自転車のことではなく、子どものかっぱらいを「チャリンコ」といっていたのだ。
 グループは、二十人くらいの集団で、サイパン島玉砕で父親を亡くした六年生の少年が大将だった。彼が「おまえはあの店のメンコ、おまえはあそこの北海道のさらしアメ」と命令し、戦果を近くの森へ持ち帰って分け合うのである。
 たまに捕まって交番に突き出される者もいたが、大将は「逃げるから捕まる。すぐ謝るんだ」と言っていた。逃げれば泥棒、謝まってしまえば単なる出来心ですむいうわけだ。
 闇市の店主も心得ていて、露台に頭がようやくとどくくらいのチビが、カラー刷りの丸メンコの山に手を出しているのを黙って見下ろしている。そろそろとメンコの山を縁へすべらせ、落ちてくるところをかっぱらおうとした瞬間、「こらっ」と怒鳴りつけるのだ。チビは、肝をつぶして逃げていく。そのチビが、私だった。
 とても仲間のようにすばしこい真似はできず、かといって仲間はずれもイヤだから、いつも仲間の姿が見えなくなるまで、闇市をうろついて過ごした。
 そんなある日、駅の東側の線路際に絵本の山を見つけたのである。開店したばかりの小さな古本屋で、戦前に刊行された色刷りの絵本を、邪魔者のように店先へ積んでいた。疎開から帰ったばかりの家には、子どもの本など一冊もないから、色刷りの絵本の山は、宝物の山に見えた。
 店主は、黒い丸縁のメガネに学帽をかぶった、眉の太い、浅黒い顔をしたおじさんで、絵本を手にとっても、振り向きもしない。難しそうな本をあっちへ並べ、こっちへ運び、時には本に見入っている。これは、「ちょろい」と思った。どれにしようか迷った。ページをめくると、雨の中を火を吹く戦車が走っている。日本刀を振りかざした兵隊が突撃している。戦前に刊行された講談社の絵本だった。
 別の本をめくると、鎧兜姿の疾走する騎馬武者絵である。はためく日の丸の旗を立てて荒海をいく軍艦である。長い髪の美少女の絵である。いつの間にかしゃがみ込んで、次々絵をめくっていった。どのくらいそうしていただろうか。
 店内に明かりがともって我に返った。おじさんが店の軒につるした裸電球のスイッチをひねりにきた。帰らなくては。仲間はとうにいなくなっている。腰を浮かすと、おじさんは店先に明かりをつけたまま奥へ入ってしまった。一冊の絵本が、山の上にあった。
 秋の夕暮れ、古木戸に立った白髪の老人が、長い髪の美しい少女を抱きしめている絵で終わる一冊だった。悲しい絵だった。父の行方を尋ねて何年も旅した少女が、とうとう父親とめぐり逢う話のようだった。
 その一冊を取って、後ろに隠した。おじさんの姿は見えなかった。明かりの下から道の暗がりへ後ずさった。ゆっくり駅の方へ向かって歩こうとした時、
「坊や」
 と呼び止められた。私は、心臓が止まるほど驚き、走ろうと思っても凍りついて動けない。後ろ向きに隠したつもりが、立ち去ろうと向きを変えたから、本が丸見えである。「逃げるから捕まる」と言われたことを思い出し、じっと立ちつくしていた。
 学生帽のおじさんが目の前に立ちふさがり、うつむいたままでいる私の目線に入ってきた。しゃがんで、私の目を見るのである。犯罪を犯した私は、お巡りさんに連れて行かれる、と思った。
「本が好きなんだね」
 とおじさんが言った。そのとき、自分が本好きなのかどうかは分からなかったが、とりあえずうなずいた。
「どれ、見せてごらん」
 おじさんは、私が後ろに隠した本を手にとって、
「これが、気に入ったの?」
と言った。気に入ったのは間違いないので、またうなずいた。するとおじさんは、
「これは、君にあげよう」
と言って、改めて私の手にのせたのである
初めて顔を上げておじさんの目を見ると、店の明かりに照らされたドングリのような大きな目が、じっと見つめている。私は、急に恥ずかしくなり、泣き顔になったのだろう。おじさんは立ち上がりながら、私の頭に手を置いて、
「絵本もいいけど、そのうちちゃんとした本も読んだほうがいいな」
 と店の奥へ入り、戻ってきた。
「これもあげるから、しっかり勉強するんだよ」
 そう言って、背中を押した。私はぺこりと頭を下げ、本をかかえると、一目散に家へ走って帰った。
 もらった絵本は『孝女白菊』と言う絵本で、読むように渡された本は、『木馬の冒険』と言う物語だった。それを読めるようになったのは、それから数年後である。その本が、私の初めて読了した本になった。
「本が好きなんだね」
 と言われたその一言で、ただの悪ガキは、本好きのガキになり、やがて書籍編集者となった。
 あれから六十年。早稲田大学を出たばかりの、青年クリスチャンが始めたその古本屋さんは、今でも西荻窪にある。ただ、あのおじさんはもういない。

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本棚のしょう油 池田久輝 33歳 京都府
 私の本棚からは、しょう油の香りが漂う。いや、実際には、しょう油の記憶が鼻をくすぐると言った方が正しい。
 今からもう十数年も前のこと。黒く汚れた一冊の本が私の本棚に並んだ。背表紙は斑に滲み、ページはくっ付いてしまっている。満足に開くことも出来ないが、それでも私は本棚に収めた。しょう油の香りと共に。
 九五年一月十七日。阪神淡路大震災。
 あの夜のことを思い出すと、今でも身震いする。自宅の大きな本棚が信じられないほど飛び跳ねた。零れ落ちる大切な本を頭や背にぶつけながら、私は棚を必死で押さえていた。
 そして、揺れが引くのをただただ待った。
 当時、大学生の私にはAという友人がいた。互いに読書好きという共通点があり、会えば「この本が面白い」「あの本が素晴らしい」など、話題は書物のことばかり。当然のことながら、二人の間では本の貸し借りが頻繁に行われる。そしてあの冬……九四年の冬も、彼と私は本を交換していた。熟読派のAに、「早く読めよ」と半ば急かすように渡したことをよく覚えている。
「お前ね、俺はじっくり読むタイプってこと知ってるだろう? 来年まで掛かるさ。それに、お前のお薦めなんだ。気合入れて読まないとな」
 Aは笑いながらそう言った。「じゃあな」と互いに軽く手を振り、大学は休みに入った。
 年が明け、まさかこんなことが起きるとは思いもしなかった。
 深夜に襲った激震……。
 翌日、ブラウン管で見た光景に愕然とした。燃え上がる炎、黒煙。廃墟と化してしまった街並み。何も言葉が出て来なかった。何より驚愕させたのは震源地。Aは兵庫県西宮市の実家にいるはずだったのだ。まさか、と最悪の事態を考えざるを得なかった。
 幸いなことに、Aとは数日後に連絡が付いた。彼がいた西宮市は比較的被害が少なかったようだった。電話から耳にした「腰を抜かしてしまったよ」という彼の声に、私は心から安堵した。連絡の取れない数日、私は気が気でなかったのだ。
 すると彼はそこでしばらく間を置いてから、「すまん」と謝った。私の心配に対してのものかと思っていると、それがどうも違うらしい。
「お前に謝らないといけないことがある」。Aはひどく真面目な口調で言った。「お前から借りていた本、汚してしまったよ。悪いな」
 Aが言うには、彼は一月十七日、私が貸した本をキッチンで読んでいたらしい。腹が減り、少し摘みながらページを繰っていたのだそうだ。そこへあの大地震。彼はキッチンの食器棚を懸命に支えていた。私が本棚を押さえていたように。それでも床には食器や鍋が激しい音を立てて落下し、調味料が一面に散乱したのだと言う。
「お前の本、気付いたら、その中に浸かっていたよ。食器がどうのより、しょう油にまみれてしまったお前の本を見て、俺は悲しくなってしまった。申し訳ないことをした」
「何を言ってるんだ。本なんかどうでもいい」
「どうでも良くはない。大切な本じゃないか」
  きつい口調でそう寄越した彼に、私は何も言い返せなかった。あの揺れの中、自らの生命よりも汚してしまった友人の一冊の本を嘆くとは。彼の本に対する愛情、いや、彼の人間としての潔さに私は胸が熱くなった。
「ページのあちこちにしょう油が滲みてしまった。これじゃあ読めないな。本当にすまない。新しいのを買って返すよ」
 彼は小さな声で言った。私は込み上げて来るものを堪えながら、「いや、いらない」と告げた。
「買って返す必要はない。その汚れた本を返してくれればいい」
「だって、お前、しょう油で真っ黒だぜ」
「構わない」
 私は有無を言わせぬよう言い放った。彼は不思議そうに「……分かったよ」とだけ口にして電話を切った。
 Aから手渡された本は、確かに黒く変色していた。持っているだけでしょう油の香りが鼻腔を突く。それは私に強烈な何かを与えた。匂いだけではない。Aに貸した本、あの揺れの中、しょう油にまみれてしまった本、彼が心から嘆いた本……私はそこにAという一人の人間を見たのだと思う。大切な友人の気高さを見たのだと思う。
 しょう油の香りは年々薄れて行く。けれど、それは年々記憶に焼き付けられる。
 卒業後、東京へ行ってしまったAとは、十数年の間で幾度も会っていない。だが、私の本棚にはいつもAがいる。「大切な本じゃないか」と声を荒げた彼がいる。
 記憶に漂うあの香り。
 今年もまたあの日がやって来る。

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佳作

太宰治『晩年』の思い出 和田一美 54歳 神奈川県
 今から三十五年も昔の話です。
 私は都内の某私立大学文学部に在籍する学生でした。将来の文豪を気取り、夢見ながら、毎日原稿用紙に向き合っていました。今になって思えば、取るに足らない拙い文章なのですが、当時の私にとってはそれなりに真剣でした。若者にありがちな現実と憧れの区別が曖昧となっている時期でした。
 その頃の私は、同じ大学で学ぶ一人の女性とお付き合いをしていました。彼女は北陸の小都市から出て来ており、家庭からの仕送りと奨学金を受けながら大学に通っておりました。私たちはどこにでもいるカップルと同じように、暇を見つけては色々な所へと出掛けて行きました。
 中でも二人が一番足繁く通った場所は神田の古本街でした。足が疲れないようにと普段履き慣れた運動靴で一日中何度も何度も同じ通りを往復しました。一軒ずつそれこそ博物館の展示物を眺めるように、本を見て回るのです。そんな中で、文学展やカタログなどでしか見たことのない有名作家の初版本などを見つけ出すのが楽しみでした。
 私は卒業論文のテーマに「太宰治」を選んでいました。高校生の頃からずっと大好きだった作家でした。いつの頃でしたか、全集の解説に、作品の一つである『晩年』の初版本の紹介に次のように書かれているのを見つけました。
「菊判フランス装の瀟洒な本」
 その言葉からは想像もつかない装丁の初版本に私は強い関心と憧れを持ちました。一度実物を見てみたい、手にしてみたいと思う気持ちは月日を追う毎に強くなって行きました。
  ある日いつものように、二人で古本屋街を歩いていたとき、K書店という国文学専門店の最上棚に「晩年太宰治第一短編小説集」という背表紙の本を見つけました。本の背表紙を見て震えるなどというのは初めての経験でした。すぐに店の主人にお願いして、棚から下ろしてもらいました。まさしく太宰治の『晩年』の初版本でした。憧れ続けた本が目の前に、そして手の中にある。何という感動でしょう。保存状態もとても良く、これが「フランス装」というものなのか、漠然と感じていた「瀟洒」という言葉の意味はこういうものなのかと思いました。
 しかし、そこまででした。金銭的に余裕のある生活を送っていなかった学生の私には到底手の出る代金ではありません。しばらくの感動を味わった後、手のひらにその感触だけを残して、店の主人に戻しました。
 そんなことがあって三ヶ月くらいたったある日のことでした。いつものように大学の構内で出会った彼女の手に本の入った封筒がありました。彼女は手を振りながら近づいて来ると、「はい、これプレゼント」とその封筒を私に手渡しました。
何だろうと思って中を見ると、そこには何とあのK書店で見た太宰治の『晩年』の初版本が入っているではありませんか。
「えっ、どうして……これが」
 私は何が何だか分からず、絶句したまま彼女を見つめました。
「奨学金を三ヶ月間使わないで貯めておいたの。昨日買いに行って来たんだけど、売れちゃってたらどうしようと思ってどきどきしちゃったわ」と、いつものように明るく笑いながら言いました。
 あの日、心残りのままに、古本屋の主人に戻した『晩年』が今、再び私の手の中にあり、もう二度と誰にも戻す必要がない。私は、信じられない気持ちでいっぱいでした。嬉しさのあまり、気の利いたお礼の言葉も言えず、ましてや彼女の三ヶ月の苦労などに気が回らない自分がそこにいました。
  私は今年五十五歳になります。三十二年間勤めた教職生活を定年まで六年を遺して今年の春、辞しました。そして今私の部屋の書棚の最上棚には三十五年前のK書店と同じように『晩年』が佇んでいます。そして、隣にはあのとき大切な奨学金を貯めてプレゼントしてくれた「彼女」が、「女房」と名前を変えて座っています。
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本屋のあの娘 因幡健太郎 24歳 愛知県

 その女の子は、僕が勤めている会社から歩いて五分のところにある本屋で働いている。彼女はいつも顔を伏せている。僕がレジに本をもっていっても俯いたままレジを打ち、決して目が合わない。本棚で作業をしている時は、他のものは一切目に入らぬというふうに没頭している。本だけが、彼女に正面から見つめてもらえる。他の店員さんには笑顔があり、挨拶の声も大きいのに、彼女だけは小声で雰囲気が暗く、というかどこか超然としていた。
 ここ三ヵ月の間、僕はほぼ毎日昼休みにここの本屋で本を買っていた。僕は彼女に恋をしていた。おかげで僕の部屋の本棚は本でぎっしりになっている。知りたくもないけれど、

 この三ヵ月間、本だけで恐ろしいほどの出費をしていると思う。
 僕がひどく幼い恋をしていることは、自分でもよくわかっている。このままでは何の進展もない。ではどうすれば? 話しかけてみようか。
  僕はナンパだってしたことがある。だが僕がこれまでにナンパしたのは、本なんか読みそうにない頭の悪そうな女の子ばかりで、本しか目に入らないような彼女にどう話しかければいいのか、僕にわかるはずもない。ではどうすればいい?
  何度目の訪問なのかは定かではないけれど、昼休み以外の時間帯に僕が彼女を訪ねたのは、その日が初めてだった。
「あのう」
 文庫本の品出しに没頭していた彼女に声をかけた。彼女はゆっくりと顔を上げる。
「私、○○商事の者です。セキュリティシステムを取り扱っているのですが、今書店さんを担当させていただいています。今扱ってらっしゃる防犯カメラについて現場の方のご意見、ご要望に興味があるのですが、少しお時間いただけないでしょうか?」
 苦渋の決断だった。僕の会社は防犯カメラの販売店で、書店のお客さんもいる。自分が営業マンだということを思い出して自らを鼓舞したものの、ここでつまづくと、もう次がない。ここであっさり断られ、しつこい営業マンになって二回目以降足を運ぶ勇気は、僕にはない。
 彼女の表情からは何も読みとれなかった。沈黙が怖くて、僕がしゃべりかけた時、
「店長を呼びますので少々お待ちください」 
 こういう顛末が怖くて、僕は現場の方といったのに…………。彼女はさっと背を向けて奥へいってしまう。
 現れたのは、黒縁の眼鏡をかけた陰気な男だった。
「店長の△△です」
 名刺交換を済ませると、僕は奥の従業員室に通された。開口一番、彼は僕に引導を手渡すようなことをいった。
「あんたさあ、うちの女の子狙っているでしょう。うちの防犯カメラ映りがいいからさ、あんたが何かたくらんでる顔がよく見えるんだわ」
 机の上には、防犯カメラのモニターが置かれている。ここから、この小男は僕の三ヵ月間の苦悩をのぞき見していたのだ。
「あの子もさ、あやしい人がいるって怖がってっからさあ。もう来ねえでくれるかな。いつも買ってくれんのはありがたいけど、いつだったか、もう辞めたいとまでいわれたし」
 僕の目はモニターに釘づけだった。
 モニターに映っているその女性は、僕の知っている、もの静かで控えめなあの子ではなかった。お客にも、同僚にも、笑顔、笑顔。その影像を通して、彼女の元気な声まで聞こえてきそうだった。自分をじろじろ見つめるあやしい男が店内にいる時、彼女は怖くて縮こまっていたのだ。そして僕は、そんな彼女を謎めいた魅力的な女性だと恋焦がれ、ますますじろじろ、それがこの三ヵ月間だ。
「あと、防犯カメラだけど、うちはつきあいある業者あるから、営業来ても無駄だよ」
  僕があまりにも見つめるものだから、店長はモニターのスイッチを切ってしまった。

  最近、買った本をちゃんと読み始めた。ちょっと勇気を出して、この失意のどん底まで自分をつき落とすために僕が費やした額を計算してみた。恋なんかしないで海外旅行へいってたら、アジア内なら往復の航空券が買えるくらいは費やしていた。その出費がたいしたことないのか、とんでもないのか、それはわからない。ずっと後まで響くのは、お金のダメージなんかではないのだから。
 転んでもただでは起きない根性で、これを書いた。できれば賞金も欲しいな。これから時間をかけて、この大量の本を読もうと思う。読了するまでには次の女の子が現れる。そう信じて。

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パパはまほうつかい、ママは魔女? 菊川眞由美 41歳 福岡県

 もう十年以上前になりますが、三人の子どもたちがまだ幼かった頃、夫の同僚の方から「こどもの日ゆうぱっく」が届きました。箱の中には、二冊の絵本とお菓子が入っていました。「ひとり何個売ってくれって、ノルマがあるから大変なんだよ」と、夫は気の毒がっていましたが、子どもたちは知らないおじちゃんからの、思いがけない贈り物に歓声を上げていました。これが我が家の子どもたちに歴代ナンバーワンの人気を誇る絵本、「パパはまほうつかい」との出合いでした。
「まほうつかいのバンダさん」は、サラリーマンのように朝九時に会社に行って夕方五時に帰ります。
「バンダさんちは、いいなあ。うちのお父さんなんか、もっと早くから仕事に行って、夜遅くならないと帰らないし」
 三人の子どもたちを集めて読み聞かせをしていると、上の息子が口をはさみました。
 バンダさんには、ネルダとオキルダという双子の息子がいて、しょっ中テレビのチャンネル争いをしています。しょうがないなとつぶやいて、バンダさんは魔法でテレビをスパスパスパと切ってゆき、みんなにテレビを一枚づつ配ります。
  お料理も上手で、えんぴつけずりに魔法をかけて、スパゲッティをガリガリプルプルプルルと出してゆきます。
 ネルダとオキルダが、お風呂が嫌だと駄々をこねれば、壁に絵を描き楽しいお風呂を創ります。
「いいなあ、バンダさんち」
 子どもたちは、バンダさんの家族がうらやましくて仕方がない様子です。
 寝る前に「ご本を読んであげるから、みんな好きなのを持っておいで」と言うと、必ず誰かしらこの本を持ってくるのです。そして、何十回も読んでもらって、挿絵もお話も全部頭に入っているだろうに、「さあ、読むよ」とわたしが言うと、ワクワクした顔でおしりをもぞもぞさせながら、絵がよく見えるように押し合いへし合い、わたしの方へすり寄ってくるのです。
 ある日、わたしはいいことを思いつきました。バンダさんの家族は、バンダさんに奥さんのヒルダさん、双子の息子のネルダとオキルダ、それに女の子の赤ん坊でヘンダの五人です。我が家は双子ではないものの、家族構成が同じです。そこで読み聞かせの時に、ちょっとした悪戯をしてみました。
「ここは まほうつかいの テルシゲさんの いえです」
 テルシゲというのは、夫の名前です。子どもたちは、きょとんとした顔をしました。構わずわたしは続けました。
「これは おくさんの マユミさんと こどもたち。 あかんぼうは ミナミ、 ふたごの きょうだいは ショウゴと タクミ」
 子どもたちはわたしが登場人物を菊川家バージョンに変えて読んでいることに気付き、歓声を上げました。テレビのチャンネル争いのシーンでは、我が家の現実に合わせて台詞もちょっと変えてみました。
「だって、ぼくどらえもんをみたいんだもん」
「ぼくが ぽちたまをみてるんだぞ」
 子どもたちは「ぼくたち、そのまんまやん」と、大受けです。わたしが予想した以上の反応でした。自分たちがお話の主人公になったようで、よほど嬉しかったのでしょう。それ以後は、「我が家バージョンで読んで」と言って、この本を持ってくるようになりました。
「こんな魔法が使えたらいいのになあ」
 自分たちの名前がお話に出てきたことで、ますますその思いは強くなったようでした。
 そんなある日のこと、たまたま小学校のそばを通りかかったら、下の息子が校庭で鉄棒のテストを受けているのを目にしました。その日の夕食時、「今日の鉄棒のテスト、どうだった?」と尋ねると、下の息子は思いがけず「なんでそのこと知っとうと?」と、驚いた顔をしてわたしを見ました。わたしの中で、悪戯心がむくむくと芽生えてきました。わたしは、子どもたちの額を集め、囁きました。
「じつはねえ、ほうきに乗って学校の上を飛んでいたら見えたのよ」
「ええーっ、お母さんも魔女やったと?」
「ほうきって、玄関に置いてある、百円ショップで買ったやつ?」
「ねえねえ、いま、飛んで見せて」
 一度に突っ込まれて答えに窮してしまいました。それでも、「パパはまほうつかい」を読んで素直に育った子どもたちは、その後数年間、自分たちの隠しごとをことごとく見破るわたしのことを、本当に魔女だと信じていたのでした。それは、我が子のよき理解者でありたいと願う、親だけが使うことができる魔法だということに、子どもたちもやがては気付くことでしょう。

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布団ドームの思い出 陣内圭二 37歳 長崎県

 小学生の頃、二段ベッドの上段で、枕の下に隠された本と懐中電灯を見つけた。ここは兄の寝所で、ここ数日の兄は夕食を大急ぎで食べると、早早にベッドに潜りこんで、頭から掛け布団をすっぽり被って動かなくなってしまう。頭の辺りが妙に盛りあがっていて、とても寝ているとは思えなかった。私は兄の不思議な行動の訳が知りたかったので、いけないと思いつつも彼の寝所を探ってみる事にしたのだ。発見した本の表紙には怪しげな絵が描かれていて、私の目は釘付けになった。
 その夜も兄は早い時間から布団ドームの中にいた。消灯時間になり、私は部屋の電気を消した。すると兄の布団の隙間から光が漏れている。その光景があまりにも幻想的だったので思わず声が出てしまった。
「兄ちゃん?」
 約十秒くらい経ってからモゾモゾと布団が動き、隙間からの光は見えなくなった。
「その本、面白いの?」私は兄の寝所を探った事がばれるのも構わずに言った。
  兄は答えなかった。と言うより本を読んでいるのを弟が何故知っているのか考えていたのかもしれない。
 私は「ねえ?」をしつこく繰り返した。
 兄は沈黙で答えていたが、やがて根負けしたのか「そんなに気になるんやったら図書室で借りて来いや。図書係に江戸川乱歩って言えば教えてくれるから」と言った。
「エド……なんだって?」
「エ・ド・ガ・ワ・ラ・ン・ポ!」兄は怒ったように言って読書に戻った。
 私は机にあった紙切れにその名前をカタカナでメモすると下段のベッドに潜りこんだ。
 次の日、学校の昼休みに図書室へ行った。
 江戸川乱歩の本を知る前の私には読書の習慣がなかったので、図書室を利用するのは限られていた。例えば、読書感想文を書かされる時とか、雨の日に外で遊べない時にプロレスをするのだ。一番奥にちょっとした空間があって、バカでかい書棚の背後で死角となり、図書係からは見えなかった。ここをプロレス仲間は密かに「試合会場」と呼んでいた。
 そんな私が初めて純粋に本に用があって図書室に来た。だから何となく恥ずかしくなり、係の女子に目当ての本の事を尋ねた時、しどろもどろで「エドの本」と言ってしまった。
 予想通り、私は歴史コーナーへ連れて行かれ、江戸関係の本を紹介された。
 私は赤面しながら、エドガワランポとメモした紙切れを見せた。
「ああ、乱歩ね」と言って係の女子は笑った。
 皮肉な事に江戸川乱歩の本がある場所は一番奥の書棚だった。その裏でプロレスをして遊び呆けていたのだ。もっと驚いたのは乱歩本が一冊や二冊じゃなかった事だ。当時の私にとって江戸川乱歩コーナーは一生かかっても読みきれないほど巨大に見えた。一冊を手に取るとズッシリと重い。それはポプラ社の少年探偵シリーズで名探偵、明智小五郎が怪人二十面相などを相手に難事件を解決する物語だった。正直な所、私を最初に惹きつけたのは表紙の絵で、兄の寝所で見た瞬間から心をグイッと掴まれた。ロボットに興味があったので「電人M」という本を借りる事にした。
 帰宅すると、玄関に置いてあった非常用懐中電灯をこっそり持ち出してベッドに隠した。
 その夜から子供部屋の二段ベッドには二つの布団ドームができるようになった。二人は競うように読みまくった。それに関連して色々な事があった。兄弟が早くから電気を消して布団に入るのを不審に思った両親が、忍び足で部屋にやって来て、布団ドームの天井がいきなり剥がされたり、兄弟ゲンカをした時、お互いがまだ読んでいない本の犯人の名前を言いあったりした。これについては仲直り後に話し合い「これからはケンカしても犯人ばらしをしない」と堅く誓い合った。
 知らない言葉も覚えた。特に面白かったのは「さるぐつわをかませる」という表現で、意味を兄に尋ねると「毒を持つ猿がいて、こいつに咬まれると人質は大人しくなる」と言った。世の中にはなんと恐ろしい猿がいるものだ、と咬まれた人質に同情した。
 今となっては笑い話だが、あの時、兄が私を騙したのか、それとも兄なりの解釈でそうなったのかは分からない。いずれにせよ彼は私の恩人だ。読書のきっかけを与えてくれたのだから。きっかけはとても大事だ。もし兄が机で普通に本を読んでいたら……もし表紙の絵に魅力がなかったら本に感心を示しただろうか? 幸運にも私は江戸川乱歩というきっかけで読書に目覚め、様々な本で色々なものを見せてもらった。未知の国や動植物。宇宙の果て。過去と未来。見えない心の動き。
 今でも兄と過ごした楽しい時間を思い出しながら、懐中電灯を布団の中に持ちこんで本を読む。活字が頭の中で姿を変え、世界を浮かびあがらせる。この瞬間、布団ドームは想像の喜びで満たされる。

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武内正子 70歳 ブラジル
 南国のクリスマスは汗がほとばしる。
「おーい、サンタのおじいさんから預かったプレゼントだよ」
ダンボール箱を重そうに両手で抱えて入って来た夫に、子どもたちは目を輝かして飛びついて行った。しかしそれは期待していたお人形でも玩具でもなかった。金字が入ったあずき色の装丁のしっかりした「子どもの世界」という全集物だった。
 まだ拾い読みがやっとの七、八才の娘達は本だと知ってちょっぴり失望したようだ。母親の私は私で「外国に移り住んで生活もまだまだ安定していないのに、お腹のたしにならないこんな高価な本を買うなんてどうかしている」と心の中でつぶやいていた。
 得意になっているのは一人夫だけで、
「子どもには夢をいっぱいもたせて広い世界も知らなきゃな」と。
 英語から訳された「子どもの世界」八巻は、日本では見たことも聞いたこともなかった。有名な世界の童話ももうらされているが、主に西欧の子ども達の生活の中から創作されたような心暖まる話が多い。それにさし絵が美しくなんとも楽しい。
 おもちゃのないクリスマスになったが、娘達は一日中ソファに坐り本をめくってはさし絵を見つめている。私は家事の合い間の通りすがりに
「お話しを読んだらじっとその絵の中の子ども達を見ててごらん。好きな子がいたら話しかけてみたら。きっと本から抜け出して来るから」
 サンタクロースをまだ本気で信じていたファンタジーの好きな娘達なので冗談と少々の無責任さで話しかけたりしたものだった。
 それから数余年たったある日のこと、二人の姉が幼い弟達に一生懸命本を読み聞かせている。
「あのね、姉ちゃんが読んでいる間、この絵をじっと見つめているのよ。いいかい、そしたら、いっしょに遊びたいと思う子がきっと抜け出して来るから」
 ハッとした。私が幼かった娘らに語ったと同じ言葉ではないか。いつ、どのようにして娘達は母親の嘘に気づきそして納得しながら心の成長をしたのだろう。そして今弟達にも自分が経験した同じ夢を見させようとしている。
 嘘を言ってごめんなさいと後ろめたい思いを私はなんとなく無視して来たのだった。
 そして又数十年。家庭をもち子を育てて来た娘達に一度聞いてみたいと思いつつ、あのころのことはお互いに言い出さないまま。
「子どもの世界」全集は今、老夫婦の我家の書架をまだ飾っている。結婚し家を出る度、子らに「欲しい人もって行って」と言うのだが、「お母さん、この本は誰か一人のものにしない方がいいのよ」と、どの子も遠慮している のかどうか。その代わり我家に来た時は、手垢で汚れボロボロになりそうな本を取り出して「ちょっと借りるから」ともち帰る子もいる。孫達もこの本で育ったのだろうか。
「今年はサンタさんに、どんなプレゼントをもらったの」と私が聞いても
「おばあちゃん、あのネ。サンタクロースはネ、パパとママのことなんだよ」
 まだ三、四才の幼さではっきり言う孫たち。ゲームに夢中で話しかけてもうわの空である。

  今度、もっと便利の良いアパートに転居することにした。やっぱり「子どもの世界」全集は処分しよう。
  大人になることは、もう無垢の昔に帰ることはできないが、あの日の夢は、六人の子等の心に永遠に生き続けるであろうから。
 それでいい。
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