タツ・十四歳。
かつて私が担任した三年二組の暴れん坊である。教職員は皆「タツはどうにもならんねぇ。」「かわいそうな子よ。」とあきらめ半分で彼を見ていた。「かわいそう」の理由は学力の低さである。タツだけではない。生徒のほとんどが、小学時代に学級崩壊に悩まされ、小学校課程もろくに終わらない状態で進学してきていた。
それでもここは公立中学校。指定された教科書を使って授業を行わなくてはならない。途方に暮れながら開いた教科書「光村・中三国語」の冒頭には、辻まこと氏の「山上の景観」が載っていた。
若き辻少年が富士山に登った際、ご来光を見て「辞書には載っていない『セカイ』というものを理解した」という、たいへん感動的な内容である。しかし、如何せん、この生徒たちに理解できるであろうか。
授業一時間目。私は早くも挫折しかけた。
「先生がまず一回読むからね。読めない漢字には、教科書に全部ふりがなをつけるんよ。」
そう言って読み始めると、すぐに
「先生、速い、速すぎ」
と、ストップがかかる。
「ごめんごめん。じゃ、次、読むよ」
しかし、すぐにまた
「先生、速すぎるって」
と言われる。何が速いのかと不思議に思って生徒の教科書を見ると、大半の生徒が、ほとんど全ての漢字にふりがなをふっているのだ。
「あ、先生、呆れてる。呆れてるやろ」
私の表情を見た生徒がペンをぽんと投げ出して、ふてくされたように言った。
「どうせ俺らのこと、バカやと思てるやろ」
慌てて私は言い返した
「そんなことないよ。そんなこと…」
一人、えんぴつを置き、二人、教科書を閉じ…。皆はやる気を無くしていった。
「どうせ、俺、できんしな」
「俺、どうせ、高校行かんし」
その夜、私は一つの決心をした。「山上の景観」を十分に理解できるまで、次の教材には進まないということだ。年間指導計画には背くが、彼らの口から出た
「どうせ、俺、できんしな」
という言葉が、私にはどうしても引っかかった。「理解できる」喜びを彼らに味わわせたい、という思いが心底沸いてきたのだ。
国語の授業は週四時間、ほぼ毎日ある。翌日の授業で、私は「山上の景観」の「ひらがな版プリント」を配布した。そして、すらすら読めるようになるまで、繰り返し音読するよう指示した。
「センセ、こんなことしてたら、中間テストの範囲が作れないよ」
と、ある子は笑った。私もやけくそで笑った。
次に、一語一語辞書を引くように指示した。時間がかかっても構わない。先生に聞いても構わない。納得がいくまで辞書を引くようにと言った。
基礎ができてやっと内容理解である。富士山の写真やご来光の様子など、ありとあらゆる資料を集めて、必死の授業。やっとの思いで「山上の景観」が終わったとき、なんと二十時間以上も費やしていた。破格の時間配分である。しかし、彼らは皆、自分なりに理解し「この話、いいね」と笑顔で言った。タツも「こんな内容だったんだ。初めて教科書の内容が分かった…」と小声で呟いた。
授業の締めに、私は一つの宿題を出した。
「皆だって、辞書に載っていない『理解』をしたことがあるでしょう。なんでもいいから、一つ、探しておいで」
宿題もろくにしない、できない彼らに出した宿題。そんなに期待はしてなかったのだが、彼らの意見には目を見張るものが多々あった。
「野球」…辞書では「九人でする球技」だが、体験から得た理解は「自己中禁止、我慢」。
「恋」…辞書では「人を愛しく思うこと」だが、体験から得た理解は「苦しくて、悲しくて、心の実がはじける感じ」
などというものまであった。
そしてタツ。彼のノートには、へったくそな字で
「教師」…辞書では「物事を教え、諭す人」だが体験から得た理解は「生徒を最後まで信じてくれる人、生徒を思ってくれる人、とあった。
不覚にも目頭が熱くなった。タツの言う、「教師」が私だとは決して思わない。しかし、タツの心の中に「信じて欲しい」「僕にもできることを教えて欲しい」という気持ちがあったことは確かだろう。
私は、タツの気持ちが痛いほど伝わってくるこのノートに花丸をつけて返却した。タツは少し頷いて、両手でノート受け取った。
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