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HOME > 読書推進活動 > 第3回「家の光読書エッセイ」入選作品

読書エッセイ 入選作品

第3回入選作品(敬称略)
   
家の光読書エッセイ賞
 
40年後の「ウ・フ・フ・・・」 福島県 阿部一子
   
優秀賞
 
絵本から学ぶ命の尊さ 福井県 山下悦子
ことわざバトル  香川県 木村和代
母、三たび泣く 福岡県 山田ますみ
   
佳作
 
読書百遍 心 自ずから通ず 埼玉県 植田雅子
運命の一冊“イルカ・セラピー”に出会って 千葉県 北井アツ子
親孝行の小道具     東京都 高岡康裕
本が許さなかったもの 愛知県 山本純士

古本屋のおじさんとの思い出

山口県 山本裕子

第4回第5回第6回の入選作品についてはリンク先を参照してください


家の光読書エッセイ賞

40年後の「ウ・フ・フ」 阿部一子・49 歳・福島県

 私がまだ幼かった頃、自分の感覚では、ほんのちょっと前にしかならないのに、実際はと言うと、40年も前の話になるのだから、ぶったまげてしまう。随分昔の話を持ち出すものだと、他人事のような気もするけれど、これは自分の事だから、その時間のあまりの速さに我ながら「ぶったまげてしまう」と言う事になるのダ。
その頃は、どの家にもテレビが無かったと思う。美しい絵本も無かった・・・・・・と思う。我家には、小さくて、腰が「く」じゃなくて「つ」の字に曲がり、地面をなめるようにして歩く涙もろいばあちゃんがいた。そのばあちゃんは、子どもの頃、子守をしていて、赤ちゃんをおんぶして学校へ行き、窓の外から黒板を見てカタカナだけ覚えたと言っていた。
  夜、湯上がりに、ばあちゃんが時々読んでくれる本があった。「あんずとずしお」。ばあちゃんは確かにそう言っていた。ボロボロで表紙は無く、ばあちゃんの歯のように、所々ぺージがぬけ落ちていた。カタカナで書かれていたのだろう。カタカナしか読めないばあちゃんが読んでくれたのだから、きっとそうだと思う。水墨画のような絵もついていたと思う。その本がすばらしいから、子どもに読んであげたのではなく、その本しかなかったから、そうしただけのことだと思う。母親は「そんな悲しい本を読んでやることはない」と、ばあちゃんに言っていた。今日は、どの本を読もうかと探す必要もなく、読む方も、どの本にしようかと迷う事なく、くり返し、くり返し同じ本を読んでもらった。本は、その本1冊きりだったから。
テレビが無かったので、大人も子どもも、夜の時間がたっぷりあったのだろう。
ばあちゃんは、何回読んでも必ず同じ場面で泣く。岩城の住吉城のお殿様が朝廷へ謀反を企てたとして流罪となり、母子の逃亡生活が始まる。家来の中に裏切り者がいて、いつかえん罪を晴らしたいという旅である。ところが、旅の途中で出会った親切そうな男は、実は人買いで、母子は別々の舟に乗せられて母は佐渡へ、子ども達は丹波へ連れて行かれて、奴(奴隷) として、苛酷な労働を強いられることになる。父親のえん罪を晴らす為、姉の「あんず」が弟を逃がして、沼に身を沈め自らの命を絶つ所と、父の無実が証明されて弟の「ずしお」が住吉城の城主となり、佐渡へ行って母親を探し、再会する場面で必ず泣くのダ。5才か6才の私も涙をこぼして聞いている。母親はこれまた金太郎飴のように決まり文句で「そんな悲しい本を小さな子どもに読んでやることはないんだ」と涙声で言うのだ。何の事はない母親も、ばあちゃんの話に耳を傾けて涙をこぼしているのだった。
40 年経った今、どうした事か幼い日のばあちゃんの下手くそな「語り」が耳の奥に鮮やかによみがえり懐かしさとともに、満ち足りた思いが心いっぱいに広がるのは本当に不思議だ。ボロボロのみすぼらしい本は、その時、ばあちゃんの下手くそな「語り」で確かに生きていた。今でも私の心の中には「あんずとずしお」と、ばあちゃんが生きて存在している。
1冊の本は、それ自体ただの物でしかない。幼い子どもには、生きたお話しか伝わらないのだと思う。絵本が学力の向上につながるのでは…などと期待せず、40 年後、50年後に、心がふわ〜っと満たされて、ついウフフ…と、ほほえんでしまうようなうれしい思いにつなげられたら最高にステキだと思う。 豊かさって一体、なんなのでしょう。
  40 年前に比べたら、それぞれの家には絵本があって、ほとんどの大人は上手に絵本が読めるのに、ゆったりとした気持ちで、子どもに絵本を読んであげる時間がない。こんなに豊かに物があふれ、便利な物に囲まれているのに、訳の分からない忙しさに追われて1日が終わる。これでいいのかと現状を肯定できない声が、どこからともなく聞こえて来て不安になってしまう。
1日の終わりに、子どもをひざにのせて1冊の絵本を読む。10 分か20 分の事である。お互いのぬくもりを感じながら同じ時を分かち合う。もしかすると、親も子もこんな一瞬が心豊かな時間と感じるのではないかと思う。子ども達が大きくなった時、幼い頃を振り返って、親が読んでくれた絵本を思い出し、ついウフフとほほえんでしまうかもしれない。40 年、50 年先の話だけれど、そんな事を考えるとワクワクしてくる。
  先日、本屋さんの児童書コーナーで、びっくりする出合いがあった。なんと「あんずとずしお」が、そこにあったのだ。よくみると「あんずとずしお」は「安寿と厨子王」だったと言う事を、はじめて知った次第。まさに40 年後のウフフ… …である。今、私は、いつか、ばあちゃんの、下手くそな「語り」を越える日が来るのを夢みて、本屋さんの児童書コーナーで、お話おばさんに励んでいます。


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優秀賞

絵本から学ぶ命の尊さ
山下悦子・34歳・福井県
 長男が三歳の時、絵本『きつねのおきゃくさま』を読み聞かせた。きつねが、ひよことあひるとうさぎを太らせてから食べようと考え、大切に育てる。けれどひよこ達から感謝されて嬉しくなったきつねは、最後にはひよこ達を守るためにおおかみと戦い、幸せそうに死んでいく。長男は昔話風の文章や独特の言い回しが気に入ったらしく、毎晩寝る前にこの本を読んでほしいと言い、寝床で繰り返し読み聞かせていた。
  数日経ったある晩のこと、長男を寝かしつけようと、
「さあ、今日はどの本を読んでほしい?」
と尋ねると、なんと長男は寝床の中で涙ぐんでいて、キュッと口を引き結び、どうやら泣くのをこらえている様子。
「あれ、どうした?なんで泣いとるの?」
と尋ねると、鼻をすすりながら
「お母さん死んだら、ぼくどうしたらいいの?」
と言うなり、ワッと泣き出した。驚いて、どうした事かと話を聞くと、
「ぼくがおっきくなったら、お母さん年とって死ぬ。お母さんおらんとさびしい・・・ご飯はどうしたらいいの?だれが作ってくれるの?」
と話しながら、ますます激しく泣く。慰めたり、安心するように話したりしているうちに、長男はしゃくりあげながら寝入っていった。
  傍らで様子を見ていた主人は
「三歳の子供でも、そんな事を考えるものなのか・・・」
と驚いており、二人で、この子は「死」という事をだんだん理解できるようになってきたんだなあと話した。
  その頃は丁度、大切に飼っていたカブトムシが、夏が終わって全部死んでしまった時期だった。死んで動かなくなったカブトムシを、長男と一緒に庭の隅に埋めた。そうした体験から、生き物は死んでしまうと動かなくなる、死んでしまうとお別れなのだという事が少しずつ解りはじめていたと思う。そして『きつねのおきゃくさま』を繰り返し読むうちに、ひよこやあひるやうさぎに、ご飯を食べさせて大切に育てているきつねの様子が<お母さん>と重なりあい、お母さんがきつねのように死んでしまったら・・・というイメージに発展していったのだろう。
  きつねがひよこたちを守って、はずかしそうに笑って死んだ場面や、ひよこたちが森にお墓を作って泣いている場面が、非常に効果的に鮮やかな絵で描かれている。私自身も読み聞かせながら、胸にグッとくるものがある。長男もこの絵本から同じように感じ取ってくれたのかと思うと嬉しい。そして幼いながらも、絵本を通して命の尊さを学んでくれた事に感激した。
  現在長男は五歳になったが、とても情け深い所があって、家の中で蚊を見つけても、殺さずに外へ逃がしてやりたいと言うし、剪定して切り落とした木の枝も、拾ってきては、ずらりと土に挿してあったりする。
  そんな長男の姿を見るにつけ、「死」を理解しはじめた頃に、思いやりや命の大切さを教えてくれる『きつねのおきゃくさま』に出あえてよかったと思い、子供に絵本を読み聞かせる事の大切さを実感している。

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ことわざバトル 木村和代・44 歳・香川県
「お母さん、今日もバトルやろうね」。夕飯の支度をしている私に、息子がそう言ってきたのはちょうど昨年の今頃。学校を介して購入した、小学生向けのことわざの本を繰り返し読んでいるうちに、息子は会話の中でもしばしばことわざを使うようになった。が、彼の頭の中には、まだまだ日常会話で出番のないことわざが満杯のようだ。そこで彼は夕食後、両親相手にことわざを言い合う、ことわざバトルを思いついたのである。
  ことわざは私も得意分野。しかし、覚えたてのことわざをさっさと言う息子に比べ、知っているはずのことわざが出てこない。理系の夫は最初から少々タイムオーバー気味だ。猫に小判」と言った私の後で、苦し紛れに「猫にこんばんは」。「寝耳に水」と言えば、「寝耳にみずすまし」などと言い出す始末。夫がもたつく間に私は必死でひねり出す。幼稚園児の次男も、訳も分からず参加して、「まな板の鯉」の後で「プールの鯉!」。皆で大爆笑。かるたのように意味を読み上げ、ことわざを言い当てたりして秋の夜長を楽しんだ。
  四年生になったこの秋。夕食中にまた彼が「ことわざバトルしよう」と言い出した。そう言えば学校の図書室から「ことわざなんでも事典」というのを借りてきてたっけ。どうやらまだ興味は続いていたらしい。また新たなことわざを仕入れたか?
「食事が終わってから」と夫に諭され、皆が箸を置くのを待ちかねてのスタートとなった。
「じゃあ僕からね。ひょうたんから駒!」。私が「その駒って馬の事だよね」と言うと、
「そうそう」と息子。夫は「将棋の駒だろ」と自信たっぷりに言う。「違うよ。ひょうたんから馬なんか出るはずないから、起こるはずのない事が起こる事を言うんだよ」と息子。夫は意味は理解していたものの、駒が馬だという事は今日まで知らなかったらしい。
  息子はいつの間に覚えたのか「今度は四字熟語もオッケーだよ」と言う。難しい熟語を言い、語源にまつわる物語まで話してくれる。好きな事、興味を持った事というのはこれほどまでに身に付くものなのかと、息子を見ていて感心する。
  思えば私も幼い頃から本が好きだった。学校の図書室で借りた本が早く読みたくて、四キロの帰り道を歩きながら読むほど。今のように夜更かしをしない時代だから、本が読みたい私は風呂焚きをしながらも読んでいた。薄暗い中、細かい字を読んでいる私に、当時八十近かった曽祖父は「そんな小さな文字が読めるのかすごいなあ」と言って、いつも褒めてくれた。皆が寝静まった後も、母に叱られないようにスタンドごと布団を被って読んだものだ。
  本というものは如何なる本も、読んで終わりというものでは決してない。知識を得る本、感動する本、考えさせられる本。元気や勇気をもらえたり。私は本から得られるものは無限大だと思っている。一冊の本が人生観を変える事だって珍しくない。
  息子発案のことわざバトルは、私たち夫婦の脳に新たな知識と刺激を与え、尚かつ家族だんらんのひとときを作ってくれた。自分の番を冗談ばかりでかわしていた次男も「門前の小僧習わぬ経を読む」が如く、意味はさておき覚えつつある。
  好奇心旺盛な息子は、一日を実に有意義に過ごしている。大好きな恐竜の事は、関連の本を読みあさり、かなり詳しい。本に親しんでいると漢字の覚えも早く、文章の前後を解釈し、習っていない漢字も読んでしまう。読書だけでなく、ダンボールや空き箱を使って何より好きな工作に興じ、レゴブロックでは大人が創造もつかないようなものを作る。一日おきのサッカー練習。友だちもいっぱいで遊ぶのにも忙しい。でもそういう生活の中で、知りたい覚えたいという気持ちを何に対してでも持っていれば、子供はいくらでも伸びる気がする。
  勉強は学校だけで充分。勉強しなさいと人に言われてやりたくなる人間などいないと考えている私は、勉強したいと思う気持ちを育ててやりたいと思っている。そこにもここにも、勉強になる事はたくさん転がっているのだから。願わくば、彼のかたわらに、常に本があってくれればと思う。
  誰かがリタイアするまで続くことわざバトルは、日増しに長くなっていく。息子の借りてきた本にこっそり目を通して、今晩のバトルに備えよう。
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母、三たび泣く 山田ますみ・36 歳・福岡県
「もう、これで終りなの?」
これが昨年までの私の思いだった。
  今、十歳になる娘に本を読み聞かせて十年。人にすすめられて始めたのがきっかけだ。運動音痴で出不精な私にぴったりの育児法な気がしたからだ。
  最初は何の反応も示さない赤ちゃんに「本当にこれでいいの」と迷った。『いないいないばあ』(松谷みよ子著) を毎日毎日、明けても暮れてもこればかり。いいかげんにうんざりし始めた二ヶ月目、「ばあ」の所で声をあげて娘が笑った。何度読んでも、そこで声をあげる。その反応が、嬉しくて嬉しくて、不覚にもこの喜びに泣かされそうになった。
  しかし、親としての幸せもそこまで。歩き始めると、読んでいるそばから立ち歩く。他のおもちゃを取りに行く。心の中では「ちゃんと聞け!読んでやってるんだぞ!」と怒鳴るが、ここが忍耐と読みつづけた。つらい日々だった。不毛に思えてならなかった。やめてしまおうかと悩んでいたある日、聞いていないと思いつつ読んだ本の内容を、娘がお風呂の中で愉快そうに語りだした。「聞いててくれたんだぁ」と素直に嬉しかった。筋をまちがえることなく把握しているのにも感動した。不覚にも、再び涙が出そうになった。
  そうして、ようやく読み手と聞き手というスタイルが定まってきたのが、幼稚園入園の頃だった。それからの日々はバラ色の毎日だった。親子で本を選ぶ楽しみ、読後に会話がはずむ喜び。時には時間に追われ、読むことがおろそかになったりもしたが、それで読まなくなるということはなかった。「読もうよ」「読んでよ」と娘から声がかかる。鍋の火を止め、台所でかがんで一冊。食後に一冊。こまごまと時間を見つけては読んだ日々だった。
  入園して一年目、娘が登園拒否になった。通園バスのタラップでひっくり返って乗るのをいやがる。次の日からは家の玄関すら出ようとしない。私もとても悩んだが、最後は腹をくくって「行きたくなきゃ行かなくていい」と告げた。静かに淡々とした日が過ぎていった。お友だちが誘いにきたり、先生の訪問があったりで、「行けない」という自分の気持ちに娘も傷つき落ち込んでいた。
  そうして三週間ほど過ぎた日、娘が一冊の本を持ってきた。それはクマの子が、どきどきしながらも一年生になるお話しだ。その本を私に差し出しながら娘は、「ママ、この本を毎朝読んでくれたら幼稚園に行けるかも」と言ったのだ。そして登園前の読み聞かせが始まった。洗濯も皿洗いも放り出しての朝読。娘は本当にあっさりと、何ごともなかったかのように登園し始めた。
  そして十年。朝と夜の二回の読書。私たちが読んだ本は通算六千冊を超えた。何のことはない、振り返れば充実した娘との歳月だった。リビングにずらりと並んだ児童書を前に私が生まれたから、ママもこれだけ本を読めたんだよ」と自慢げに娘が笑う。私はそんな娘の言葉を笑いとばしながらも、本当にそうだなあと心の中で娘の生を感謝する。しかし娘はだんだんと自分一人でする読書も楽しむようになり、読み聞かせも聞き手ではなく読み手を好むようになってきた。私は、右往左往しながらも読み聞かせてきた幼少期も終りかと悲しく思うようになった。「もう、これで終りなの?」は本当に正直な気持ちだった。一人っ子。たった一回の育児。私は寂寞とした気分にひたっていた。
  今、新聞などでは、小、中学生による犯罪を毎日のように報道している。親の在り方が問われているようで胸が痛い。しかし、『いないいないばあ』から始まった親子の読書の旅は娘がその少年たちの年齢になっても、親子間に会話を提供してくれるだろう。親子で一冊の本に共感したり、向き合える喜びを運んでくれると思う。それは親として何を教育したわけでもなく、作家の方々の素晴らしいお力を、「読み聞かせ」という形でお借りしたに過ぎない気がする。そう思うと、たった一回の読み聞かせ育児ではあったが、楽しく充実した育児だったとありがたく思う。
  少々の寂しさはあるが、そう思い始めて二年ほどたった今春、私に再び大きな喜びがやってきた。息子の誕生である。また『いないいないばあ』から始めるんだと、小さい小さい息子の手を見ながら感激する。
  そうして、三たび、私は我が子に泣かされそうになるのであった。

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佳作

読書百遍 心 自ずから通ず 植田雅子・45歳・埼玉県
「まさかそれを持って行くつもりじゃないでしょう」。私は娘の手提げバッグを覗き込んでため息をついた。「高校三年生になるっていうのに、小説の一冊も読めないわけ?もっとも、服部をフクベと読むようなレベルじゃあ無理か」。そう言ってしまってから、またしても余計なことを口にしてしまったと後悔したものの、もう遅い。娘はたちまち怒りを露にした。「いちいちうるさい!もう車出さなくていいよ。私、一人で行くから」。一事が万事こんなふうだ。私と娘は、顔を突き合わせれば口論無しじゃ済まなくなるのだ。原因は私の余計な一言にあるのだと分かっていても、どうしても感情を抑えられない。夏休みの一週間を父方の実家で過ごすと娘が言うので、ならば車で一緒に出掛けようということになった。身支度を始めた娘に、本も何冊か持って行くよう言ったところ、彼女がバッグに入れたのは「星の王子さま」だったのだ。十歳の誕生日に私が買った本である。一体何年読めば気が済むのだろう。小さい子供は同じ本を何度も何度も繰り返し読むもの。娘もそうだった。しかしその傾向は小学校の高学年になっても、中学生になっても、高校生になっても変らない。しかも読む本まで同じ。「一〇〇万回生きたねこ」などは、それこそ百万回読むつもりらしい。だから、娘の本棚には童話しかない。小学一年生の男の子が書いたということで物議をかもした本を、今でも時々読んでいるようだし。
「このままでいいのだろうか」「新聞もろくすっぽ読めないで、この世知辛い社会を生き抜いて行けるのだろうか」。そんな焦燥感は、当人にではなく母親の私にあって、しかも増加の一途を辿っている。おかげで、ああ、今日も白髪が一本増加。
  出発前から一悶着あったせいで、私が車を運転している間、娘は一言も口をきかない。何となく気まずい雰囲気。かといってCD をかけるのも気が引ける。音楽の好みが全く違うから、ここでボサノヴァなんか流したりしたら、それこそ火に油を注ぐようなもの。とは言え、実家に到着するまでに、何とか関係を修復しておかなければならない。「星の王子さまの何がそんなにいいわけ?」。私は何気なさを装って娘に聞いた。暫くの間があって、「母さんはどこが良かったと思うの?」と返された。私は黙った。と言うより、答に詰まったのである。「星の王子さま」を読んだのは十歳の時。覚えている内容と言えば、ケモノを飲みこもうとしているウワバミの絵のみ。王子さまはどんな冒険をしたのだっけ。やきもきしながら、娘に本を買った時、何故自分も一緒に読まなかったのだろうか、などと考えた。しかしいくら考えても無駄だった。何故なら理由などないからだ。
「どんな話だったか覚えてないのでしょう」。リアシートから妙に弾んだ声がした。バックミラーをちらっと見ると、不敵な笑みを浮かべた娘と目が合った。慌てて目を逸らし、運転に集中しているふりをしながら答を探していると、娘は追い討ちをかけるように言った。「表面だけ一度や二度読んでも、本を読んだことにはならないよ。本は頭じゃなくて心で読むんだよ」。「そんなこと、国語2 のあんたに言われなくても知ってる」。もちろんこの台詞はぐっと飲み込んだ。私が黙っているのをいいことに娘は得意気に続けた。「母さんは、哲学書を読んだだけで、自分は頭がいいと思って満足しているでしょう」。何という因縁。読書に関する薀蓄を、鬼父のみならず、愚娘からも語られることになろうとは。『読書百遍意自ずから通ず』。この言葉は、私にスパルタ式教育を強い、強制的に本を読ませた今は亡き父の口癖で、耳にタコができるほど聞かされた。時は巡り、今度は娘に「読書は心でするもの」などと、講釈されるとは。
  その夜、娘が眠りについてから、私は「星の王子さま」を熟読した。懐かしいというよりは斬新だった。感動したというよりはショックだった。第一の星の、命令ばかりしている王様は私のことだ。第二の星の、うぬぼれ男も私だ。第三の星の呑み助も、第四の星の実業家も、私のことを指している。ああ、こんな形で王子さまと再会するなんて・・・。
  娘の留守中、彼女の蔵書を開いてみた。ふっと優しい気持ちになれた。夜中に読むと一日の疲れが取れることに気付いた。固くなった頭ではうまくイメージがつかめないから、同じ物語を繰り返し読んだ。ある夜更け、グラス片手に挿絵に見とれていると、背後でいきなり声がした。「真夜中にワイン飲み飲み絵本眺めている大人なんて、母さんくらいしかいないね。ばかじゃない」。しかし私は娘の目が一瞬きらりと輝くのを見逃さなかった。
  こうして、娘十八、私四十五の夏は終わった。秋になると、私たちはデッキに並んで一緒に夜空を見上げるようになった。「星の王子さま」効果だろうか。
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運命の一冊"イルカ・セラピーに出会って 北井アツ子・31 歳・千葉県

 とうとう来てしまった。四年前の五月、私は不安と緊張でいっぱいのまま、マイアミ空港に降り立った。泣きそうな気持ちに喝を入れながら必死に大学の寮へと向かう。手には一冊の本がきつく握られていた。
  私は、十年前に出会った一冊の本、「イルカ・セラピー」を読んで以来、その著者である、ベッツィ・スミス先生の元で、イルカセラピーを学ぶことを夢見ていた。著者紹介の欄には、先生がフロリダ国際大学の大学院で、ソーシャルワークを教えていると書かれていた。その数行の著者紹介欄だけを頼りに、私は六年かかって、その大学院への入学を果たしたのだ。果たして先生は、そこにいるのだろうか?イルカセラピーを教えているのだろうか?
  ソーシャルワーク学部の事務所へ行くと、ベッツィ先生が、今でも動物セラピーの授業を教えていることがわかった。私は迷わず、その授業を取ることに決めた。いよいよ先生に会える。先生の授業が取れる。そして、その授業へ足を運んだ初めての日・・・・。
  教室には、本の著者紹介の写真より、十歳以上老けた感じの、しかし優しい目の光はそのままの、ベッツィ先生がそこにいた。先生は、微笑みながら私に近づいて来た。「あなたは、日本から来てくれた子に違いないわね」。事務所の人が、わざわざ日本から、この授業を取るためにやって来た人がいる、と伝えていたらしい。「よく来てくれたわ」。そういいながら、私をきつく抱きしめた。茶目っ気たっぷりの目に、イルカのような笑った口元が印象的な、イルカ以上に"癒される感じの女性だ。ああ、とうとうここまでこぎつけたぞ。私の中に、達成感が広がる。しかしそれは、厳しい留学生活の幕開けに過ぎなかった。
  それから二年、留学生活は試練の連続だった。そして私は、なんとか卒業した。その間、ベッツィ先生にはお世話になりっぱなしだった。志半ばで日本に帰ろうとして、二時間以上も説得してもらったこと、つらい状況を、連日電話で訴えたこと、先生の部屋で泣きながら話したことも数え切れない。先生は私にとって、本当に特別な人となっていた。あの著者紹介を読みながら、どんな人だろうかと思いを巡らせていた日々が嘘のようだ。卒業式の後には、待ち合わせをして、これでもかというほど一緒に写真を撮り、抱きしめ合った。「先生のお陰で卒業できました」。その言葉は、百パーセント真実だった。
  帰国後、私は長女を出産した。ベッツィ先生は、とても喜んでくれ、イルカの版画を贈ってくれた。私も、娘の成長を記す手紙を、写真と一緒に送り続けている。生涯にわたって交流していきたい特別な人だ。
  イルカ・セラピー」の本は、常に自分のそばに置いてある。もう紙は茶色く変色し、古い本のにおいがする。先生の顔写真は、更に若返っているように見える。すっかり別人だ。定価七百四十円。
  私にとって、この本の値打ちは計り知れない。私を留学へと駆り立て、マイアミでのつらい二年間を乗り越え、ベッツィ先生との交流の原点となった一冊。留学を通じてできた知識や友人、現在のカウンセラーとしての仕事、全てが、この一冊なくては有り得ないものばかりだ。私の留学のいきさつを知った人は皆、私の留学が、たった一冊の本だけを頼りに始まっていることに驚いた。そして、口々にこう言った。「その一冊が、人生を変えたね」。まさに、この本と出会えていなければ、私の人生はきっと違うものになっていただろう。この本と巡り会わせてくれた運命に、いくら感謝しても、し尽せない。
  そもそも、世の中にゴマンとある本のうち、自分が読む機会に恵まれる本は、ほんの一握りだ。手にすることじたい、運命なのかもしれない。けれども中には、本当に人生を変える奇跡の一冊があることを、私は知っている。
  そして今日も私は本を読む。自分の琴線に触れる一冊に出会うことを願いながら。運命の一冊に巡り会うことを信じながら。

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親孝行の小道具 高岡康裕・37 歳・東京都文京区

 つい最近、ちょっとだけ親父がうれしそうな顔をするのを見た。それは、私が親父に本をあげたからだ。プレゼント、というほど大げさなものではない。ただ単に、私が読み終わった単行本を親父にあげただけだ。
  私は今、東京に住んでいる。両親は健在で、大阪に住んでいる。私はこの歳になっても独身であり、両親は気が気でないらしい。おふくろは、一ヶ月に二〜三回電話をかけてきてくれる。だから、お互いの様子はだいたいわかっている。それに、全国津々浦々に出張に行く私は、両親にその土地毎の名産品をこまめに送っている。周りから見ると、結構親孝行と見えるらしい。しかし、実際にはそうではない。私は、仕事の忙しさを理由に盆・正月にも実家に帰らない。実家に帰るのは二年に一度あるかないか。このことがどんなに両親を傷つけているかは、十分にわかっている。しかし、帰らない。理由は、いろいろある。結婚のことをいろいろと言われるのも嫌だし。また、妹夫婦にもなんとなく気を使うし。
  この間久しぶりに実家に一日だけ帰った。そのときに、新大阪駅につくまでの新幹線の中で読み終えた本を親父にあげた。その本は、「聖の青春」という題名で、内容は身体に重度の障害を持ちながらも、大変な才能と努力でプロの将棋棋士として活躍し、短い一生を終えていった主人公についてのノンフィクションだった。私は、将棋のことが全くわからない。そのため、小説の中に頻繁にでてくる主人公が打った指し手の内容や凄さが全然わからなかった。その部分はほとんど飛ばして読んだ。それでも、感動した。そして、読みながら将棋好きの親父ならば、もっとこの小説を楽しめるだろうなと考えていた。
  だから、軽い気持ちで親父にその本を手渡した。それは、夕食中に手渡した。親父は、小説の主人公のことを当然知っていた。さらに、私は知らなかったがこの小説の内容はテレビでもドキュメンタリーかドラマかで放映されたらしい。なんと、将棋のことなど全く興味のないおふくろまで知っていた。親父は、その主人公がいかに素晴らしかったか、そして主人公のライバル達についても、私に熱心に語ってくれた。私は、ほとんどわからなかったが、親父と酒を酌み交しながらその話を黙って聞いた。
  そして、驚いたことに親父は主人公の父上と仕事の関係で面識があるらしい。その話もしてくれた。それからどんどん話は大きく反れて、親父の現役時代の仕事話になっていった。私がもう少し若い頃、そう、私自身の仕事がどんどん忙しくなっていった頃から、親父と仕事の話をすることはあったが、数年前の私はもう一つ親父の仕事が理解できなかったし、またその背景やそのときの親父の心情も理解できないでいた。だから、よく親父の意見に反論をしていた。そのたびに親父は私を頼もしそうに、そして寂しそうに見て笑っていたものだ。今回、私は将棋の話と同様に黙ってうなずきながら聞いた。もちろん、酒を親父と酌み交しつつ。
  翌朝、私は実家を後にした。駅まで送ってくれると親父は言ったが丁重に断った。実家を出る直前にやはり言われた。「早く結婚しろ」。
  東京に戻ってしばらくして、おふくろからいつものように電話があった。親父は、最近うれしそうだと言う。さらに、「あいつも、将棋を始めたようだ。昔、あいつに教えようとしても全然覚えなかったのにな」と言っているらしい。
  私は、あの時なぜ本を親父にあげたか、実はわかっている。私は、実家に戻る新幹線に乗る直前にわざわざあの本を買って、さらに新大阪までの二時間三十分で読もうとしたのか。親父と少しだけ話がしたかったからなのだ。ちょっとだけ、親父を喜ばせたかったんだ。そのための小道具として本を選んだんだ。

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本が許さなかったもの 山本純士・48 歳・愛知県

  正太郎君は小学四年生になるまで大きな病気にかかることもなく、サッカーと釣りに熱中する毎日を送っていた。その彼が白血病であると知らされると、お母さんは医師の前で気を失ったという。
「なんの不安もなく、ずっとそうした日が続くと思っていたんです。それが突然… 」
  お母さんはそう言ってしばらく黙り込んだ。私も言葉がみつからず、小児病棟の中にある教室はしばらくの間しんと静まり返った。
  病気で入院をすることになった子どもたちを対象にした「訪問教育」という制度がある。一週間に三回、病院に教師を派遣して授業を行う。私はその訪問教育を担当する教師で、正太郎君の担任になった。
  転校手続きの説明を受けるために、きょうはお母さんが教室まで来ているのだ。ずっと黙っているわけにもいかず、私は事務的に入学手続きについての説明を終えた。
「せんせ、あの子、小学校に戻れますよね」
  教室を出るとき、お母さんは後ろを振り向いて言った。
「どの子も、治療しながらここで勉強して、そして元気になって退院していきます」
  こたえると、お母さんは疲れた顔に少しだけ安堵の笑みを浮かべ、小さく頷いて教室を出ていった。
  週三回の授業は私が二回、同僚の川崎さんが一回受け持つことになった。彼と相談をして、国語や算数の勉強だけでなくおもちゃを作ったり正太郎君の好きな絵を描く時間も多く取ることにした。三回だけじゃなくて、毎日勉強したいなあ… 。陽気にそんなことを言いながら正太郎君は授業を受けた。
  だが抗癌剤の投与が始まると、次第に元気をなくしていった。嘔吐が続き身体をくの字に折り曲げ、喋ることも大儀そうにする日が増えた。やがて薬の副作用で髪の毛がすべて抜け落ちると、彼の顔から笑顔が消え授業も受けようとしなくなった。病気が、体力だけでなく気力も奪っていくようであった。
  どうすればいいのだ。何ができるのだろう… 。思い悩んだ末、ある日私は絵本を三冊持って病室に向かった。正太郎君は治療の影響で免疫力が落ち、個室から出られなくなっていた。
二冊を読み終えたが、彼はベッドに横になり、無表情のままだった。もう四年生だし、絵本じゃ駄目か… 。そう思いながら最後の一冊を取り出した。それは『じごくのそうべえ』という落語を原作にしたもので、屋根から落ちて死んでしまった軽業師が、地獄で閻魔大王を困らせ追放されて生き返るという物語だ。読みすすめると、正太郎君は何度か頬をゆるめた。
「せんせい」
「うん?なあに。どうしたの」
「おもしろい、ね」」
か細い、小さな声で彼は言った。
「もう、いっかい、読んで」
  せがまれるまま二度読み下手な声音も使ったため、私の声はかすれた。
  その日から、授業のたびに本の読み聞かせをすることにした。
  彼は新しい本を読んでもらうのも好んだが、いつも必ず二冊の本を読んでほしいと言った。一冊は『じごくの… 』で、もう一冊は『一年一組・せんせいあのね』だった。『せんせい… 』の中に『ぼくだけほっとかれたんや』(あおやまたかし作) という悲しい詩が載っている。母が再婚し義父ができ弟が生まれた「ぼく」は、義父に嫌われないように弟の面倒をみる。だがある日家に帰ると義父も弟も、そして母までもいなくなっており、「ぼく」はひとり取り残されたことを知る。
  朗読をすると、正太郎君はその悲しみを自分のものとして感じ取ろうとでもしているかのように耳を澄ませて聞いた。そしてそのあと『じごくの… 』で声を出して笑うのだ。
  彼はふたつの作品をすっかりと覚えてしまった。それでも彼は私に読むことを求めた。やがて正太郎君は、体調の悪い日も授業を受けるようになっていった。身体を海老のように折り曲げ嘔吐をする日も授業を受けると言うので、私とお母さんが必死になって休むように説得することもあった。
  八カ月ほどの入院生活を終え退院する日が来た。
「たかし君って強いよね、先生。ぼくも、ちょっとは強くなったかなあ… 」
  退院の日『ぼくだけほっとかれたんや』を書いたたかし君の名前をあげ、正太郎君は私に尋ねた。
  ああ、強くなったさ。よく頑張ったよ正ちゃんは。あんなに苦しい治療をやりとげたんだもんな。そう言おうとしたが、うまく言葉にできず、私はうんうんと頷くだけだった。
病が正太郎君から生きる意欲と笑顔を奪おうとしたが、本がそれを許さなかったのだ。そう思って私はもう一度うんうんと頷いた。

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古本屋のおじさんとの思い出 山本裕子・40 歳・山口県
 幼児の頃の私は、動物図鑑が大好きで一日中そばに置いてあったのを覚えています。私の家は貧しかったので大型犬や外国犬は、もちろん飼うことができないと思っていたので図鑑を見ては、飼ったつもりになっていたのでしょう。当然、他の動物も大好きでした。当時、我が家にとって本を買うという事は、家計からそうとうな出費だったと思います。図鑑を買ってもらった時のうれしさは、今でも忘れていません。
  小学校に入学してからは、必ずといっていいほど図書館通いして、本を借りてきたものでした。しかしながら、借りるという事は返す日が決められている為、落ち着いて読書するというわけにはいかない時もありました。「あ〜あ!こんな重たい本なんか借りんほうがよかった。自分だけの本がほしいな〜」と、思う事がよくありました。ランドセルや教科書、ノートだけでも重く感じるのに、本の重さは小さい私にとっては負担に思うのは当然の事です。
  ある日、両親と町に出かけた時、めったに行かない本屋に連れて行ってもらいました。本棚にビッシリとつめてあるだけでなく、通路にもたくさん本が積んでありました。そこは、新しい本ではなく、古い本ばかり置いてありました。でも、中身を見たら十分読書する事はできそうでした。そうです。そこは古本屋さんでした。母が
「ここなら、たくさん本を買ってあげられるから、好きな本を探しときんさいね」
と、言ってくれました。
「え!本当に買っていいんかね」
と、私は答えました。夢かと思って、ほっぺたをつねった記憶があります。その古本屋さんは、商店街のはずれの方で、周囲にはきれいな店が建ち並んでいましたが、ここだけは過去にタイムスリップして時間が止まった感じがしました。なんとなく懐かしさも感じられるようでした。店の奥を見ると、カウンターらしき場所に六十過ぎくらいの白髪まじりのおじさんが、ギロッとメガネの下からあたりを見渡している姿を見ると、ちょっと怖いような気もしましたが、勇気を出して恐る恐る奥へ入って行きました。するとおじさんが
「おじょうちゃん。どんな本が好きなんかね」
と、聞いてくれました。その時のおじさんの目は、とっても優しく見えました。
「うちは、動物の図鑑が大好きなんよ」
と、私が答えると
「ほー。そうかね。それじゃったら椋鳩十という人が書いた動物の本がええかもしれんよ。他にも、外国のシートンという人の書いた動物の本もあるよ」
と、言いながらいろんな本(特に私の興味をひくような本)を選んでくれました。それからは、図鑑だけでなく、物語や小説もどんどん読むようになっていました。両親が、本屋のすぐそばで買物している間、決まってこの古本屋に立ち寄る事にしていました。おかげで、ゆっくり返す日を気にせずに、しかも何度でも繰り返して読書できる事は、この上もない幸せでした。私が一人っ子でしたのでよけいに読書する時間が多くなったのは言うまでもありません。古本屋のおじさんとは、友達のようになりました。( おじさんは孫のような気持ちだったかもしれません… )。時にはおまけにもう一冊本をくれたり、おまけして安くしてくれたりもしました。古本屋に行くたびに新しい本との出会いもありましたが、本屋の空間や、おじさんとの話もけっこう楽しかったものです。動物シリーズの他にも『あんじゅとずし王』という本を手にした時の衝撃はものすごいものでした。
「人にさらわれて、親子離れ離れになって、それでも負けずに頑張った。私が貧乏と思ったらいけないんだ」
と、思いました。本を読んで初めて涙が出ました。
「動物の本だけじゃなくって、いろんな本を読んだらええよ。本からいろんな体験ができたり、涙が出るような感動もできるよ。きれいな宝石なんかより、よっぽど本の方がかがやいとるよ。本をいっぱい読んで優しい人になりんさい」
と、古本屋のおじさんは、教えてくれました。おじさんは、本が好きだから、ここにいると幸せなんだなぁと感じる事ができました。
  私は、結婚して十五年になり、今では中一と小三の娘がいて、両親も広島から山口に来てもらいましたが、今でも、古本屋で買ってもらって気に入った本は大切に本棚に入っています。私のお気に入りの本を時々出して読んでいるようです。幸せな事に、同じように本が好きな人達と知り合う事もでき、子供達の学校で読み聞かせボランティアとして行っています。人それぞれに本が大好きになった理由があると思いますが、私は、古本屋のおじさんとの出会いがそうでした。ありがとう… 。
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