農村文化情報
| 分類:果樹経営 | 都道府県:山梨県 | 団体名:JA梨北管内 |
| グループ名:矢崎保朗さん・辰也さん | ||
| 心を尽くせば、モモが応えてくれる |
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| 樹高を低くして枝を広げることで、省力化と高収益を実現した「大早流モモ栽培」。合理化一辺倒でない独自の技術。モモへの純粋な情熱は、後継者にしっかりと受け継がれていた。 |
| ●事業の活動内容 | |
| 「矢崎フルーツ園」(山梨県韮崎市大草町)は、南北に南アルプスの山麓が広がるこの地で、モモを中心にブドウ、カキなどの果樹生産に取り組み、JAを通じての系統出荷(一部宅配も手がけている)に取り組んでいる。 主な経営内容は、次のとおり。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 種類 品種 栽培面積(a) 収穫期 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 モモ 加納岩白桃 45 7月上旬 白鳳 20 7月中旬 浅間白桃 30 7月下旬〜8月上旬 ネクタリン 15 8月中旬 黄金(おうごん)桃 10 9月下旬 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ブドウ ピオーネ(種なし) 50 9月上旬〜下旬 ルビーオクヤマ 10 10月上旬〜下旬 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 柿 甲州百目 20 11月上旬〜中旬 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 | |
| ●事業の開始時期、実施の理由・目的 | |
| 昭和50年(1975年)、それまで矢崎家の経営の柱だった養蚕をやめてモモ栽培に切り替えたのは矢崎保朗さん(70)の決断だった。 周囲の農家は、まだ養蚕を捨てきれずにいた時代だったが、保朗さんはこれからの農業は果樹(とりわけモモ)に切替わっていくと判断し、思いきって転換に踏みきったのである。一畝ずつクワの木を切り倒し、切り株を根こそぎ抜いて、その代わりにモモを植えた。収穫できるまでに、その後の2年の歳月を費やした。 そのころのモモの樹は、樹高が高く、高い脚立にのって、腕を伸ばしっぱなしの作業で、ときには肩を脱臼することもあったという。「もう少し作業が楽になり、しかも園内に植えたモモの枝の隅々まで目を配ることはできないか」という思いから“低樹高仕立て大早流”が誕生した。とはいっても本格的に軌道に乗るまでに20年の月日がかかった。 | |
| ●事業の特色 | |
| 韮崎市大草町は、モモの画期的な栽培技術で知られる「大草流」の発祥の地である。その大草流の家元ともいえる矢崎フルーツ園のモモは、他産地のモモとは樹形がまったく異なる。ここのモモの樹形は、傘を下向きに開いたような、あるいは平たい杯のような独特の形をしている。しかも、枝が低い位置にありながら、びっしりと広がり、小さな脚立でも上方のモモにも楽に手が届く樹形になっている。この樹高の低さゆえの省力化、そして通常の栽培法に比べて2倍の収穫量を実現した「大草流」の考案者が保朗さんである。 | |
| ●活動の成果、今後の事業展開計画 | |
| 矢崎フルーツ園は、辰也さん(37)という後継者を得ている。大手建設会社でのサラリーマンの経験のある辰也さんは、韮崎に帰って就農してから9年になる。会社時代に現場管理や品質管理をしていた手腕がモモ作りにも生かされている。パソコンを駆使しての収量管理や収穫期の予測をしている。 また、軽トラを直接モモの樹の下につけて収穫できるように、思いきって樹間を広げたのも辰也さんのアイディアである。他産地では樹間は7〜8mとっているが、ここでは10mほどにしてある。したがって10a当たりの植栽本数も8本と、通常の18本に比べて半分以下だが、収量減を技術で補っている。さらに省力化のため防除用のSS(スピードスプレヤー)、高所作業車(2台)、草刈機などの導入をしている。 矢崎フルーツ園は生産される果物の90%は共同選果され、JA梨北を通して系統出荷している。残りの10%が宅配(直販)である。辰也さん構想としては、インターネットを使って現在300名ほどいる顧客を増やし、30%程度にすることを描いている。 | |
| 《問合せ先》 「矢崎フルーツ園」(矢崎保朗・辰也) 住所 〒407-0036 山梨県韮崎市大草町上條東割587 電話 090-3065-2185 FAX 0551-22-5967 E-mail y-fruits@yamanasi.email.ne.jp |
| ●地域の概況 | |||
| 韮崎市は県北西部の中心都市である。市域は釜無川を挟んで、西は鳳凰三山を含む南アルプス国立公園があり、東は茅ヶ岳山麓の山地に及んでいる。 古くから甲州街道、佐久往還、駿信往還の分岐点として発達し、富士川水運の終点でもあった。現在でも峡北地帯の交通の中心地である。 農業面では、峡北穀倉地帯の役割を果たしている。南アルプスの山麓の丘陵地は畑地が多く、モモやブドウなどの果樹栽培が行われている。 |
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