協同組合人物略伝 【国内
 
二宮尊徳にのみやそんとく
1787年(天明7)7月23日,神奈川県小田原市栢山(かやま,旧相模国足柄上郡栢山村)に生まれた。14歳のとき父を,16歳のとき母を失い,力耕勉学,24歳で一家再興の実をあげた。26歳より小田原藩主大久保忠真の家老職服部十郎兵衛家の若党となり,ついで同家の家政再建(家政取直し)をゆだねられて成功する間に,1820年(文政3)34歳のとき,藩中の士,仲間若党,下男下女ら同志を糾合して五常講を創設した。仁・義・礼・智・信の人倫五常の道により積み立て,貸し付け,返済するという一種の信用組合である。この協同共存の精神を基盤とする経済取直策は,のちに桜町復興の仕法をはじめ,いわゆる二宮仕法の根幹として活用され,さらに後年の報徳社その他の永安法へと展開するものである。1822年(文政5)
藩主から同家の支族旗本宇津〓之助領地,野州桜町(現栃木県芳賀郡)の復興を命じられ一家をあげて赴任し,10年にして第1期仕法を終わり,15年にして(1837年)ついに大業をなしとげた。この間およびこれにつづき,旗本川副家の所領青木村(現茨城県真壁郡),細川家の所領谷田部(現茨城県筑波郡),茂木(もでぎ,現栃木県芳賀郡),大久保支族の烏山藩(現栃木県那須郡),ふるさと小田原藩その他で計600余村に仕法を行い,いずれもその経済再建に成功した。二宮仕法といわれる復興開発仕法の様式は,救急,分度の確立,助成無(低)利息金法,開発開墾,推譲法の発揚などに要約されるが,その根幹は五常講の協同精神であり,金銭の積立てと貸借の約を守るを信,余財者が窮者への貸付のため出資するを仁,返済の確実を期するを義,仁を行って誇らざるを礼,返済をくふうし講中相互の利便に努力するを智とするにある。このうち,余財者が窮者のために財の一部を推譲し,これを善種金として講社(組合)資金として活用する方式は,のちに各地に起こった報徳社によって実践された。1842年(天保13)56歳のときに,小田原藩に仕法発業中,幕府御普請役格に登用され,真岡(現栃木県芳賀郡)代官領内諸村に新田開拓の仕法を行い,別に相馬藩(現福島県相馬郡)復興の仕法を指導して成果をあげた。1846年(弘化3)『日光神領再興策富国方法書』60巻を大成し,1853年(嘉永6)病を冒して日光奉行所に赴任して仕法を起こしたが,業を嫡子弥太郎(御普請役見習)に託して1856年(安政3)10月20日に没した。これよりさき,1847年(
弘化4)遠州下石田村,神谷与平治により初めて下石田報徳社が起こり,のち門弟岡田佐平次が遠江国報徳社を浜松に創立するに及び報徳社運動は全国に波及して1000社に達し,明治新農村の有力な推進体となった。(和田 傳)


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