| 1889年(明22)長野県小諸市(旧北佐久郡小諸町)に生まれた。1908年(明41)神戸高商(現神戸大学)に入学したが病気のため退学し,1914年(大3)家業である蚕糸業を継いだ。1928年(昭3)第1回普通選挙で衆議院議員に当選(以降連続6回当選),鶴見祐輔,山崎延吉(別項)ら6名と明成会を結成,1929年(昭4)立憲民政党に入党。1940年(昭15)米内光政内閣の海軍参与官,1945年(昭20)終戦間際の鈴木貫太郎内閣の陸軍政務次官に任用されたが,政治活動の本領は産業立法活動であった。その一つは蚕糸対策であり,基本認識は「蚕糸業は200万零細農家の事業であり,製糸業は弱小企業者の集合である」ということであった。1929年(昭4)蚕糸業国策運動を起こし,1931年(昭6)〈蚕糸業組合法〉成立については特別委員会委員長として尽力した。1933年(昭8)政・民有志議員に呼びかけ衆議院蚕政倶楽部を組織し,1935年(昭10)産繭処理組合法案を議員提出したが審議未了となった。しかしこれが基礎となって1936年(昭11)〈産繭処理統制法〉,1937年(昭12)〈糸価安定施設法〉が制定された。1941年(昭16)〈蚕糸業統制法〉が公布されて日本蚕糸統制株式会社が設立され,さらに国営化ともいうべき日本蚕糸製造株式会社に発展すると,これに反発し,中小製糸業者を糾合して全国共栄蚕糸組合の設立を推進した。他方,林業・森林組合活動にも挺身した。1932年(昭7),1933年(昭8)簡易森林火災保険法案の議員提出(審議未了),1937年(昭12)〈森林火災国営保険法〉の成立を推進した。ついで森林組合制度の画期的改正を行った1939年(昭14)〈森林法〉改正の衆議院第一読会委員長をつとめ,1941年(昭16)設立された全国森林組合連合会(全森連)の設立発起人・理事,1944年(昭19)全森連甲信越支所長に就任した。また,1945年(昭20),戦時森林資源造成法案の議員提出を行う(翌年「戦時」を削って改正法施行)。戦後は,1946年(昭21)5月設立の全国森連会長となり,現全森連の基礎を築いた。1947年(昭22)公職追放,1950年(昭25)追放解除後,郷里の小諸市長をつとめた。1956年(昭31)参議院議員に当選(以降3期連続当選),蚕糸業・農林業・中小企業発展の政治活動を展開,関係団体の長として活躍。1981年(昭56)3月24日没。(加藤成一) |