協同組合人物略伝 【国外】
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| (1826〜1913)アメリカの農民組合と農業協同組合の先駆者。ボストンに生まれ,新聞記者,電信技手を経て1849〜64年までミネソタで農場を経営した。1866年,アメリカ農務省官吏として南部の農業状態を視察したが,南北戦争(1861〜65年)直後の南部は,土地,人心ともに荒廃し,農業者の暮らしは貧困をきわめていた。農家は農産物を業者に安く買いたたかれ,購入資材には高い運賃も加わり法外な代価を請求された。1867年,同僚の農務省官吏6人と図り,農民の社会的文化的改善を目的とし経済的な困窮を打開するため,農業保護団(Order
of the Patrons of
Husbandry)という友愛組合を結成した。アメリカ各地に,この種の農業保護団を設立しようとした運動がグレンジ運動である。この運動は,1873年の恐慌によってもたらされた農村の貧困化により,当初の経済的文化的活動から発展して,しだいに政治的色彩の濃厚な運動となった。地域的にも西部から太平洋岸に広まり,最盛期の1870年代には25州にまたがり支部数2万,加盟組合員数86万以上を数えた。運動の発展にともない,その中核であった全国農業保護団グレンジ(National
Grange of the Patrons
of Husbandry)の中央委員会は,1874年の全国グレンジ大会でケリーらの提案に基づいてロッチデール原則を採用し,協同組合的性格を鮮明にした。グレンジ運動は,販売購買の組合事業を行い,鉄道料金,倉庫保管料などの引下げ規制を中心に,当時の金融機関その他の大企業の独占的な経済支配権に対して,政治的にこれを解決しようとしたアメリカ農民運動史上画期的な運動であった。しかし,協同組合化したグレンジで成功をおさめたものもあったが,多くは組合原則の無視や拙劣な経営などで失敗し,恐慌の影響が遠のくとともにグレンジの設立数は減少し,運動は下火になった。彼は全国組織の事務局長として,農業保護団の創設以来1878年に現役を退くまで,その指導的立場から精力的に活躍した。グレンジ運動は後年,農民連盟(Farmers’Alliance)および人民党(People’s Party)の結成を促し,各地に専門農協の設立を導き,さらにカナダのコムギプールに影響を与えた。主著:Origin and Progress of the Order of the Patrons of Husbandry in the United States(合衆国農業保護団の起原と進展)。(古桑 実) |