協同組合人物略伝 【国内
 
金井 満かないみつる
1900年(明33)6月16日,長野県諏訪市(旧上諏訪町)に生まれた。1924年(大13)東京帝国大学法学部を卒業と同時に,義兄の小平権一(別項)の推挙で産業組合中央会(産組中央会)へ入会,1926年(大15)トトミヤンツ著『産業組合原論』を翻訳出版。1930年(昭5)産組中央会主事,1932年(昭7)産組拡充5か年計画立案に参画,以降第2次世界大戦終結まで指導者千石興太郎(別項)のもとに産組運動の拡充に力を尽くした。また,地域消費組合の発展にも活躍し,1932年(昭7)城西消費組合理事,同年,全国消費組合協会常務理事,1937年(昭12)には日本無産者消費組合連盟理事となった。この年,国際協同組合同盟(ICA)パリ大会に出席,欧米協同組合を視察した。太平洋戦争勃発後は1943年(昭18)中央農業会参事・戦時対策部長,1945年(昭20)戦時農業団北海道食糧増産本部長となったが,8月15日終戦。この期間は本来,民主的思想の持主であった金井にとって最も苦悩多き時代であった。戦後,全国農業会が発足し,1946年(昭21)常任理事・組織局長,翌年常務理事となったが,1948年(昭23)に民主的農協運動をめざして日本文化厚生農協連合会の設立に参加,翌年専務理事となる。その後,1960年(昭35)全国厚生農協連合会専務理事に迎えられ,農村医療運動の強化・拡充に取り組んだ。1966年(昭41)第3回国際農村医学会議(チェコスロバキア)に出席,農薬禍について発表した。また,1945年(昭20)日本協同組合同盟(のちの日本生活協同組合連合会)常任委員となったほか,地域生協復興にも尽力した。彼は青・壮・老年期を通じ一貫して産組・協同組合医療・消費組合運動に地道に活動した協同組合人のひとりといえる。1974年(昭49)12月20日没。(山田仂雄)


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