| 1873年(明6)4月11日,兵庫県高砂市伊保町(旧印南郡伊保村)の大地主の家に生まれた。1893年(明26)日本法律学校卒業。県農会長,地元銀行の頭取などを兼ね,1904年(明37)当時日本で3位から4位の多額納税者として貴族院議員となる。早くから小作人救済のための組合を唱え,伊藤家小作人信用組合をつくった。また兵庫県信用組合連合会の初代会長でもあり,産業組合(産組)初期の指導者のひとりである。そして1910年(明43)平田東助(別項)産業組合中央会(産組中央会)会頭就任の年には,産組中央会を代表して西垣恒矩(別項)講師とともにベルギーのブリュッセルにおける第1回農事組合会議(農業組合および農村人口統計国際会議)に出席し,そのあと8か月にわたってイギリス,ドイツ,デンマーク,アメリカなど13か国の協同組合,一般文化を視察して帰り,産組年次大会や雑誌『産業組合』誌上でその結果を発表した。また,1911年(明44)ごろの『産業組合』誌上で「新時代の米穀改良は小作人救済会の組織にあり」と題する論文をはじめとして,しばしば小作人問題について論じている。大日本小作人救済会の設立を提唱している兵庫県の「零子」という筆者は彼の匿名と思われる。1959年(昭34)6月12日没。 |