| 福島県相馬郡鹿島町(旧真野村)に生まれた。1900年(明33)〈産業組合法〉の公布と同時に真野村産業組合を設立して組合長となり,村長を兼ね,組合長をつとめること連続40年に及んだ。この間に県信用組合連合会会長,県支会副会長,産業組合中央会(産組中央会)理事,産業組合中央金庫(産組中金)評議員など地元と中央産業組合界の枢要のポストにつき,その功によって産組中央会より紅綬功労章を受けた。産組中央会理事は相当長かっただけに,わが国産業組合発展途上において彼は重要な役割を果たした。1936年(昭11)5月,産組中央会会頭志立鉄次郎(別項)は軍部と官僚の産組に対する圧迫によって辞任したが,その後任会頭決定をめぐって産組中央会有史以来の大騒ぎとなった。会頭は理事の互選によるとの規定であるが,そのとき互選の資格があった理事は有馬頼寧,月田藤三郎,千石興太郎,岡実,有働良夫,小川貞一,北川嘉平,佐藤寛次(以上別項),池田長八らで,月田副会頭の昇格を希望するものに岡,有働,佐藤の3理事があり,有馬頼寧を推すものに千石,小川,北川,池田の4理事があった。月田は会頭候補にあがっているので終始沈黙していたが,他の理事は相互に自説を主張して譲らず,ついに決選投票によって決定した。投票は4対3,1票の差で有馬が当選し,かくて産組中央会は戦時態勢に入ったのであった。(大貫 将) |