| 1893年(明26)5月15日,富山県高岡市に生まれた。1917年(大6)東京帝国大学法科大学政治学科を卒業して大蔵省に入り,北京,ウラジオストクに勤務し,ロシアの〈協同組合法〉などを紹介した。1920年(大9)から1927年(昭2)までニューヨーク財務官事務所に在勤,ヨーロッパ各国を視察して帰国,銀行検査官となった。1930年(昭5)から産業組合中央会(産組中央会)参事として産業組合運動にかかわるようになったが,1936年(昭11)門司税関長を最後に官界を辞し,同年,産業組合中央金庫(産組中金)理事となる。1938年(昭13)現職のまま産組中央会の理事を兼任し,1943年(昭18)団体統合で産組中央会が消滅するまで在任した。産組中金においては,大阪支所長,本所業務部長などを歴任したが,1941年(昭16)外務省嘱託として,いわゆる日米交渉のため特派された野村吉三郎大使の随員として渡米,ルーズベルト大統領,ハル国務長官らとの国交調整に参画した。渡米中,産組中金理事の職を解かれたが,帰国後当時具体化してきた産業組合による保険会社設立にあたって中心的役割を果たし,1942年(昭17)大東海上火災保険株式会社および大福海上火災保険株式会社の社長に就任した。同年7月両社が合併して共栄火災海上保険株式会社の創立とともに初代社長に就任し,戦後これを協同組合保険形態に近い非営利の相互会社に改組して,協同主義に立脚した保険事業の社会化を図るという宿望を達成した。また,1945年(昭20)には黒沢酉蔵(別項),船田中らとともに日本協同党結成を主唱して党結成に当たり,翌1946年(昭21)4月,同党書記長に選任された。日本協同党は同年,日向民主党,日本農民党,広島協同民主党と合体して協同民主党となったが,彼はその書記長として活躍した。同年6月,貴族院議員に勅選されている。著書に『国際金融論』,訳書に『アメリカ個人主義論』(フーバー著)がある。1947年(昭22)2月18日没。(宮城孝治) |