| (1839〜1913) ドイツのダルムシュタットの高校教師の家に生まれ,大学で法律学を専攻して,初めは司法官の道をたどった。早くから農業に関心をもち,農民と親しく接していた彼は,協同組合の発展に寄与することに生きがいを感じて農業消費協同組合の設立に加わり,その指導者となって,たちまち郡内に地歩を占めた。彼の指導によりヘッセン消費協同組合連合会,同農業信用協同組合連合会,同農業協同組合連合などが組織され,さらに彼の呼びかけにより,のちにドイツ帝国農業協同組合総連合,さらにドイツ農業協同組合帝国連合と改称したドイツ農業協同組合連盟が誕生した。彼はシュルツェの連合会に農業協同組合が加入することは不得策と考え,独立した組織をつくる必要性を説いたが,ライフアイゼン系の農村信用協同組合についてはこれを無視する態度に出た。彼によって生まれた連合会の発展はめざましく,彼は一時連合会の業務に専心せざるをえなくなった。彼はやがてヘッセンの下院に選出されて議長となり,ついで上院議員に任命され,さらにドイツ帝国議会の下院議員にもなった。連合会組織が下部連合会を加えて大いにすすんだとき,彼はライフアイゼン系連合会との合同を考えた。そして,1905年,両者は形式的には合同されたが,期待と効果は満たされないまま,1913年,ふたたび二つに分かれた。彼は,ライフアイゼン(別項)と異なり,連合会組織の原則として中央の統制は基本的なものに限り,その他は地方の実態と地方組織の自主性にゆだねる地方分権主義をとった。これが彼の協同組合組織がたちまちにしてライフアイゼンのそれを凌駕した原因であるとされた。また,彼が購買組合,販売組合から出発し,他の協同組合の場合よりいっそう合理的営利的な考え方を特徴としたためもあるだろう。他方,彼は組合の自助,自主の原則を強調し,直接組合経営に対する国家の援助を峻拒するとともに,政治的,宗教的中立を固く保つように主張した。(矢吹 寿) |