| (1836〜1923)イギリスのウォリントンに生まれ,13歳でワイヤー製造工場に雇われ,1日12時間の重労働に服した。このような環境のもとで彼は社会改良運動に参加し,マンチェスターにあった奴隷反対協会の会合で弱冠16歳で公開演説を行ったが,その後,同協会の事務局長になった。彼の政治活動は1860年代の普通選挙運動に始まり,アメリカの南北戦争時代(1861〜65年)には北部諸州のためにプロパガンダ(宣伝)や組織活動をし,1868年の総選挙では労働階級の代表候補者として保守の自由党候補ハリファックス卿と対決している。また,社会改良運動を通じて協同組合運動にも近づき,1850年代の後半から積極的に組合運動に参加した。1869年の協同組合大会には主導的な役割を果たし,協同組合中央会(Co‐operarive
Union)の創立にも尽力したが,とりわけこの中央会本部のホリオーク・ハウスの開設(1911年)は彼の努力によるものであった。彼は生産組合連合会,農業園芸組合などの創立を手がけたばかりでなく,組合運動の文化的,教育的分野の開拓や,協同組合大学の創設を説き,講習会の開催,教育パンフレットの発刊などに努力した。 |