協同組合人物略伝 【国外】
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| (1860〜1937) アメリカにおける信用組合運動の創始者で,ボストンの富裕な商人の子としてマサチューセッツ州ハレムに生まれた。1908年,世界旅行の途中,インドに立ち寄り,同地で信用組合の設立に奔走していたイギリス人ゴーレー(Gaulay,
W.
R.)に会って信用組合の必要性を痛感した。そのころ,マサチューセッツ州の銀行監督官であったジェイ(別項)は,金貸業者への借金返済に苦しむ労働者を救済するため,カナダですでに労働者の困窮救済対策として信用組合を設立し融資の道を開きつつあったデジャルダン(別項)を招き,信用組合の法制化の作業にあたらせていた。この法案は,革新的で公共心に富み,財力もあったファイリーンの強力な支持により,1909年に可決をみた。この〈マサチューセッツ州信 用組合法〉(Massachusetts Credit Union Act)は,アメリカで最初の〈信用組合法〉となった。しかし,組合の設立は順調にはすすまず,1915年当時,その数は全国で48を数えるにすぎなかった。そこで1921年,バーゲングレン(別項)とともに各州で〈州信用組合法〉を制定させて,各地に信用組合を設立させるため,信用組合全国普及事務局(Credit Union National Extention Bureau)を設立し,事務局長としてその発展に尽力した。アメリカにおいて信用組合が発達したのは,理想主義に支えられたファイリーンの積極的な財政援助と,バーゲングレンの献身的な組織活動があったからである。1929年,経済恐慌により都市労働者の生活が逼迫して低利の小口金融を求める声が増大し,各州で〈信用組合法〉が制度化され,組合の設立もすすんだ。1929年当時の組合は400を数える程度にすぎなかったが,1934年に〈連邦信用組合法〉(Federal Credit Union Act)が可決されたことから,州法のない州においても信用組合の設立が可能となった。1934年には普及事務局を改組して全国信用組合連合会(Credit Union National Association)を設立し,ファイリーンはその会長となった。この連合会のほかに,他地域の連合会,アメリカ協同組合連盟などの組織活動費として,彼の「20世紀基金」(The Twentieth Century Fund)が使われた。ボストンのファイリーン百貨店の会長であったファイリーンは,商品流通の理論家でもあり,百貨店,専門店,チェーン店など営業の具体的なマニュアル『モデル・ストック・プラン』は,長い間,小売流通部門のテキストとして広く内外に利用された。わが国では1932年(昭7),上野陽一が『現代模範仕入販売法』として訳出している。1935年にデパート型店舗を統合し,協同組合的な全国チェーンの組織化を計画したが,実現しなかった。主著:More Profits from Merchandising(商取引における利潤の高め方),The Model Store plan(モデル店舗),Successful Living in the Machine Age(機械時代における生活の向上)。(古桑 実) |