| (1854〜1920)カナダのケベック州レヴィスに生まれた。デジャルダンは貧困のなかに育ち,レヴィスの教会学校に通ったあとレヴィス・カレッジに学んだが,家計を支えるために中途退学した。その後,地方新聞『エコー・オブ・レヴィス』(L’
Echo de Le´vis)の編集者としてつとめ,1879〜90年までは『デイベイツ・オブ・ケベック,レジスラチュア』(De´bats a´ La
Legislature de
Quebec)の記者兼編集者として活躍した。1892年,オタワにある下院の議事速記官に任命された。ここで議員たちの演説から,高利貸の餌食となって家庭が崩壊する例の多いことを知り,法外な高利から家庭をいかに守るべきかという法律を自分で研究した。そして家族を貧しさから守るために生命保険組織をつくることを考えたが,保険や法律だけで一般の人々を高利貸から守ることは充分でないことを知った。ついでウルフ(Wolfe,
H. W. 1840 〜1931)の著した『庶民銀行』(People’s
Bank)に関心をもち,1898年,当時,経済学者で国際協同組合同盟(ICA)会長でもあったウルフに手紙を出して,信用協同組合運動の原理と実践について教えを乞うた。また,イタリアのルッツァッティ(別項)とも文通をし,信用組合についての研究を深めた。当時,カナダでは貧しい農漁民や労働者は銀行を利用できず,高利の質屋や商人,金貸しの餌食になっていた。そこで彼は自立共助による金融機関設立の必要性を痛感し,すでにシュルツェ,ライフアイゼン(以上別項),ルッツァッティらの設立した信用組合がヨーロッパの庶民金融機関として成功したことに勇気づけられ,カナダにおいても信用組合こそ市民の最も望ましい金融機関になると確信して生涯その設立と発展に努力した。そして1900年12月に最初のレヴィス信用組合(Les
Caisses Populaire at
Le´vis)を設立,1907年から1916年までに159の信用組合が,デジャルダンの働きによって設立された。1909年にはアメリカ合衆国の信用組合創設運動の先駆者であるジェイ,ファイリーン(以上別項)と協力してマサチューセッツ州の〈信用組合法〉の制定に尽力した。またマサチューセッツ州とニューハンプシャー州でフランス語を話す人々の間に23の信用組合をつくることに成功した。1918年までに合衆国の18州において〈信用組合法〉が制定され,さらに1933年の〈連邦法〉の成立に大きな役割を果たした。デジャルダンの考え方が,今日のカナダ,アメリカ,アジアにおける信用組合に及ぼした影響は大きい。主著:La
Caisse Populaire。(森 静朗) |