協同組合人物略伝 【国内】
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| 1887年(明20)2月9日,岡山県英田郡大原町に生まれた。1912年(明45)東北帝国大学農科大学を卒業,北海道農会に勤務,その間に農民の啓蒙宣伝に通俗的大衆雑誌が大きな役割を果たすことを痛感,後年『家の光』の創刊を企図したのはこのときの発想に基づくとは本人の述懐である。北海道農会を辞して,上海日日新聞社,遼東新報社を経,1916年(大5)岡山県農会に就職,会報編集のかたわら,別に大衆雑誌『農家の友』を刊行し,自ら編集の責任者となり,収支償う発行部数に達したという。ついで大原社会問題研究所所員となり,農政問題をはじめ,民俗伝承などの調査に当たり,1924年(大13)産業組合中央会(産組中央会)に招かれた。岡山時代は第1次世界大戦,これにつづく戦後の思想,経済の混乱期に当たり ,米価高騰に因を発する米騒動(1918年8月)は全国的に労働争議,小作争議を誘発し,とくに岡山県は激しかった。この間にあって彼はこれらの問題についての研究論文を新聞,雑誌などに寄せ農政ジャーナリストとして知られた。産組中央会では会報『産業組合』の編集に当たると同時に多年志していた農民,組合員の啓蒙普及雑誌『家の光』創刊を計画,提案した。時の会頭志村源太郎(別項),主事千石興太郎(別項)の援護のもとに1925年(大14)4月〈産業組合法〉公布25周年記念事業の一つとして『家の光』の創刊をみるに至った。産組中央会においては,雑誌部長,家の光編集部長を経,全国産業組合役職員共済会常務理事となり,のち郷里に引退したが,戦後,家の光協会に関係ある株式会社協同宣伝の社長に就任した。著書に『農業経営講話』『最近欧米農政問題』『産業組合国民読本』『俗名さん』などがある。1959年(昭34)6月10日没。(島田日出夫) |