写真の基本は、あたりまえだけれどもきちんと写すということ。
「きちんと」というのは、正しくということ。
しからば、なにが正しいのかというと、「意味を取り違えられないこと」にほかならない。
いわゆる芸術写真は意味不明であることに意義があると勘違いされているけれども、そういうのはやらなくていいのだ。
今回は、色の濃さについて考えてみる。
ほとんどどんな機種のデジカメにも、どんな価格帯のデジカメにも「露出補正ボタン」というのが付いているので、デジカメの取扱説明書を引っぱり出してきておいていただきたい。
まあ、最近の電気製品はなんでもかんでも分厚い取扱説明書がくっついてくる。その最たるものがビデオであろう。
昔のビデオは簡単に留守録ができた。しかし今のビデオは、取扱説明書をひっくり返してようやくセットしても、はたしてそれが正しく機能するものかどうか、確信がもてないので、ちゃんと録画できるかどうか、ずーっと起きて待っているという、まことにウスラバカなことになるのだ。よって、出張するときには、友人数人に見たい番組を録画してくれるように頼んでおくのだ。なんで数人かというと、だれか一人くらい忘れないで録画してくれるだろう、という読みである。
ことほど左様に、分厚い取扱説明書というのはよろしくない。また、「なんでもできまっせ」という多機能も考えものである。ビデオなんぞ、録画ができて再生できればそれで用が足りるんだ。
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