入選作品

五十年前からの宝物

相野正(あいの・ただし)・66歳

 夜半からひどい大降り、今日は一日止みそうもない。それからそれへと彼女の事を想ふ。我が恋は悲しき哉。私は初めて大きな悲しい溜息と涙がこぼれた。
「さびしさに雨だれで消す煙草の火」

 赤茶けてしまった新書版の本を、私は50年間大切にしている。何回も引っ越しをしながら離さなかった本。そして私の現在まで続く読書熱の発端になった本で、東京大学戦没学生39名の手記等の遺稿を集めて1951年出版された。その最後の稿だ。悲しすぎる。
 田舎の小さな漁村で祖母に育てられた私には、父の顔も声も記憶にない。父は自ら志願して陸軍士官学校に入り、少尉として中国戦線で戦い、帰還してすぐに病死したと祖母に聞かされていた。離婚した母の面影を探そうとすると露骨に嫌がる祖母の影響か、父の古いアルバムを開いては飽かずに眺めていた。
 昭和32年。小学校に通いだした私は、図書室を見て腰を抜かしそうになった。貧乏で、本どころか新聞も取っていない家の私は、図書室が宮殿に見えた。父のことは意識からは飛び、手あたり次第に本を読みまくった。
 中学に上がると図書室にはさらに多くの本があり、小学校にはなかった戦争を生々しく記録した画報や記者の従軍記などがあり、再び私の「父を知りたい」「戦争を知りたい」という意識に火が付いて、片っ端から読みはじめた。戦場がどれほど悲惨だったのか。なぜ戦争という道を選んだのか、そしてなぜ国民は粛々と従ったのか。
 もちろん中学生になったばかりの私に答えなどみつかるはずはない。まして、志願兵について書かれた本は全くなく、悲惨で不毛な戦いに大きなショックを受けただけだった。
 そのころ、ふと目にした新聞記事の切れ端に『はるかなる山河に』という本が紹介されていた。学徒動員で戦地に赴いた当時の学生さんたちがどういう思いだったのかを知ってもらいたいと。
 無性に読みたくなった。でも貧乏な祖母の家では毎日食べるのがやっと。そんな私が230円のこの本をどうしても読みたかった。しかし、中学を出てそのまま漁師や農家になる子が多い中で、腹の足しにもならない「本を買う」ことが許されるはずがない。まして我が家は漁師からクズ魚をもらっていた家。
 国語の女性教師に話した。そのK先生は私の読書熱をよく知っていた。その本を図書室に備えてほしいと頼んだのだ。でも、こんな本は、私以外の誰も読まないだろうと言われた。しかたなく私はあきらめた。しかしある日、廊下でK先生に呼び止められ、いきなりその本を手渡された。
「エッ!」
「読みたいんやろ」
 うれしいのと恥ずかしいのとで困惑しながらも、図書館の片隅で、夕陽を浴びながら何度も読んだ。その日から私の宝物になった。
 ここに書かれているのは、「父上様、母上様。育んで下さった御恩はいつまでも忘れません恩返しもできず、数々の不孝をおゆるし下さい」という遺稿がほとんどだ。「親の恩に報いていない」という無念さと、「それでも私は明日出撃する」という一途な覚悟。
 父母や恋人と引き裂かれて戦争に駆り出された若者たちの悲壮な心情に心打たれ、愛する人への思いを断ち切る戦争というのは、こんなに残酷なものかと驚いた。
 巻末の編集委員の言葉。「私たちは生き残った。あの激しい戦争の中をとにもかくにも生き残った。私たちはこの生き残ったという真の意味を決して忘れてはならない」
 志願兵の父がどんな心情で戦場へ行ったのかはわからない。だがこの本を読んでそれはもうどうでもよくなった。そして中学生ながらにこう思った。私たちはこんな若い人たちの犠牲の上に今、生きている。日々感謝しながらこの人たちの分まで、皆精一杯生きないといけない。
 それ以降、私は振り返ることをやめた。親の影を追うことはやめた。振り返っても昨日はやって来ない。来るのは明日だけ。彼らは明日を奪われた。私たちは昨日に感謝して、いい明日を迎えられればそれでいいではないか。明日のために本を読む。大人になったら本を買って読み、もっといろんなことを知りたいという思いは一層強まった。
 卒業式の日、坊主頭の学生帽を取り、K先生の目をまっすぐ見つめて、これだけを言った。「先生。ありがとうございました。もっとたくさんの本を読みます」
 K先生は何も言わずニッコリした。ふと、私に渡す前、先生もこの本を読んでくれた気がした。
 村に春を告げるイカナゴを茹でる香りが強く漂う晴れた日だった。