入選作品

本の匂い

広瀬智子(ひろせ・ともこ)・31歳

 中学一年の最初の国語の授業でのこと。
「こうやって、本の匂いをかいでみよう」
 先生は、鼻先へ教科書を持っていき、ページをパラパラ繰ってみせた。
 それはまぎれもなく新品の匂いだった。清潔だけど、どこかよそよそしい、まだ自分のものではない匂い。
「先生、もよおしてきた」
 クラス一ひょうきん者の男の子がトイレへ駆けていく。
 インクの匂いがツンと鼻先をくすぐる。
「一年後に、もう一度同じことをしよう。どんな匂いになっているだろうね」
 梅雨明け寸前のある日、夏風邪をこじらせて学校を休んだ。
「おとなしく寝てるのよ」
 両親はそろって働いていた。家の中は私一人。午後、身体が少し楽になってくると、寝ているのが退屈になり、もぞもぞ布団から起き出した。
(今頃五時間目か……。今日は『坊ちゃん』をやるんだったな)
 教科書を開いてみた。夏目漱石とある。千円札の人(当時)だ。こんな大昔の、気難しそうな風貌のオッサンが書いた話が面白いのだろうかと、ほとんど期待せずに読み始めた。
 予想に反して、小説は愉快であった。向こう見ずで腕白だけど、人間味のある坊ちゃんに惹かれ、一気に読んだ。すぐにあっけなく最後のページにたどり着いた。
(あれ、もう終わり?)
 終わりに気付かず夢中になって読んでいたのだ。それまで、読書は苦手だった。あと何ページで終わると自分を励まし、早く読み終えて外で遊びたいと思うタイプだった。でも、今回は違う。いつまでも読んでいたい、終わらないでほしいという切ない思いを初めて味わった。(ちなみに、教科書に収録してあるのは、坊ちゃんが松山に赴任するまでの冒頭の部分だけ)
 ところで、『坊ちゃん』には、食べ物シーンが登場する。お手伝いの清が坊ちゃんを溺愛し、家人に内緒でこっそりあげる、きんつば、紅梅焼、そば湯、鍋焼きうどん――私はごくんとつばを呑んだ。中学生の私には紅梅焼やそば湯など、どんなものか見当もつかなかったし、食べたこともない。それなのに、字面だけで、それらがとてつもなく美味そうな物に思えたのだ。ぐぅ、と腹が鳴る。
「これを食べてね」
 台所にはおかゆと母さんのメモが置いてあったが、何か別のおやつが食べたい気分。
 戸棚から、どら焼きを取り出し、それを片手に『坊ちゃん』を再読。
「あら、おかゆ食べられなかったの?」
 仕事から帰った母さんが心配そうに私の顔を覗き込む。(どら焼きの件は秘密)
「ちょっと寒気がするの。鍋焼きうどんなら食べられるかも……」
「分かったわ。スーパーで買ってくる」
 まったく怪我の功名だ。
 母さんは部屋に熱々の月見うどんを差し入れてくれた。私は例によって例のごとく、うどんをはふはふと啜(すす)りながら、『坊ちゃん』を再々読。
 あまり行儀のよいことではないが、物を食べながら物を読む楽しみを覚えたのはこのときだった(皆さんお好きですよね?)。以来18年、私の癖はますますひどくなるばかり。
 翌朝、鍋焼きうどんですっかり元気になった私は学校へ向かった。国語の時間、『坊ちゃん』のページを開くと、どら焼きのかけらがいく粒も挟まっている。昨日の残滓(ざんし)だ。先生の目を盗んで、あずきを口に含む。たちまちほんのり甘い匂いが口中に広がる。そのとき、板書していたはずの先生と目が合った。まずい、叱られると思ったが、先生は気付かないふりをして授業を進めた。
 その日の放課後、図書室で『坊ちゃん』の続きを探していると、先生が声をかけて来た。
「君と僕って似ているよ。僕も学生の頃はおやつの残りをわざと教科書に挟んで授業中こっそり食べたものだ。クッキーの欠片なんかもお勧めかな」
 先生はいたずらっぽい笑みを見せて立ち去った。それ以来、先生にすっかり親近感を抱くようになった。読書を肩肘はらずに楽しめるようにもなった。
 学期末、私たちは再び教科書に鼻をくっつけて、匂いをかいだ。
 四月当初とは明らかに違う匂い――私の本はお菓子の匂いがしみついていた。おしゃまな女の子の本にはフローラルのハンドクリームの匂いが、野球少年の本には汗と土の匂いが。
 本にはその人の匂いがしみ込むのだ。
 今、中学校で国語を教える私は、子どもたちと共に本の匂いを楽しんでいる。