入選作品

進まない栞

小林茂男(こばやし・しげお)・56歳・東京都

「おい、今度この本買って来てくれないか」
 そう言って父は僕に小さな新聞記事を差し出した。
 それは和辻哲郎の『古寺巡礼』を紹介した書評記事だった。
「これはいい本だな。ぜひ読んでみたい」
 そんな父の言葉を僕は半ばしらけた表情で聞いている。
 父は時々こんな事を言い出す。別に買って来ること自体はやぶさかではないのだが、これまでこうして頼まれて買ってきた本を、父が読んだためしがない。
 父は職人気質の人間で、読む本といえば仕事関係の機関誌や趣味のつりの専門誌ぐらいのものだった。ただ、いわいる「文化の香り」みたいなものに妙に魅かれるところがあり、僕が帰省する度に、こんな風にテレビや新聞で興味を持った本を、本好きの僕にねだってくるのである。
 しかし実際に買って与えると、興味はそこまでで、数ページめくるだけで、後は書棚の埃にまみれるのが常であった。
 だからこの時も「またいつもの事か」と軽く受け流していた。
 ただ、和辻哲郎の『古寺巡礼』は僕にとっても思い出深い本だった。高校の頃、何げなく古本屋で見つけたこの本から、古都の古寺や仏像の奥深さに魅了され、居ても立ってもいられず独り京・奈良へと旅をした思い出がある。本に導かれて京都から奈良・西の京と、ゆっくりとした時間に佇む古寺を巡るこの旅は、当時進路のことで真剣に悩んでいた僕にとって、改めて自分というものを見つめ直すよいきっかけとなった。
 そんな懐かしさもあり、僕はまた無駄なことと思いつつも『古寺巡礼』を父に贈った。偶然とはいえ、父がこの本に目を止めたことも何となくおかしかった。
 しばらくして帰省した折、僕は父に 「あの本読んだ?」と聞いてみた。
 「アぁ…読んだよ。いい本だった」と、曖昧な返事である。書棚を覗くと真新しい『古寺巡礼』がぽつんと置かれている。
 父は几帳面で、本でも雑誌でも自分が読み終えたページにしっかり栞(しおり)を挟み、それに必ず日付を記入する。
 僕はそっと書棚の本を取り、ページを捲(めく)ってみたが案の定、栞は始めのほんの数ページに挟まれたままだった。栞には「○年○月○日 ○男贈」と書込まれている。
 「やはり今回も無駄かな…」と僕は苦笑しつつ本を棚に戻した。
 ずっと時は過ぎて、父が亡くなる少し前、僕はほんの親孝行のまねごとで両親を連れて京都・奈良を旅行したことがある。
 僕はその旅行のコースにあの『古寺巡礼』の行程をそのまま取り入れてみた。ちょっとした思いつきである。
 京都・南禅寺を経て、奈良・新薬師寺、浄瑠璃寺、東大寺と、この本を読んだ者であれば、何がしかの想いが蘇る旅の行程である。
 父がもし本を読み進んでいれば、息子のこの粋な計らいに何かを感じ取ってくれるのではと、淡い期待を込めたのである。
 数日を掛けた旅は快晴に恵まれ、訪れる古刹(こさつ)や宿の料理に両親はそのつど感激し、感謝こそされたが、しかし最後まで父の口から『古寺巡礼』にまつわる感想や感慨の言葉が出ることはなかった。
 僕の目論みは外れた。やはり栞はあのままだったようである。
 それから父は慌ただしく亡くなった。
 葬儀を終えて、父の部屋を整理していると、ふと書棚の片すみに埋もれている『古寺巡礼』が目についた。
 何げなく書棚から出し、ページを捲(めく)ってみると、やはり栞の位置はあの時のままだった。
 ただ、本が妙に膨(ふく)れていることに気付き、さらにページを捲っていくと、驚いたことに本の至る所にあの京都・奈良の旅で訪ねた古寺や仏閣の拝観券が挟まれていたのだ。几帳面な父らしく、該当の項目に挟みこまれたそれらには、拝観日時と簡単な感想が丁寧に書込まれている。
 僕は軽い衝撃を受けた。
 母に聞けば、父は実はあの旅行にこの『古寺巡礼』を持参していたというのである。そして最後の病床でも、愛おしそうにこの本を何度も開いていたということである。
 僕はベットの上で、古都の旅を思い返しながら、ページの一つ一つに、丁寧に拝観券を挟み込む父の姿を想像していた。
 結局、栞は一ページも進むことはなかった。しかし父の中で『古寺巡礼』は、すでに何度も何度も読み終えた本だったのかもしれない。