入選作品

白線

鈴木篤夫(すずき・あつお)・58歳・福島県

 正月三が日が過ぎた金曜日。私は南相馬市立病院の三階の待合ベンチに腰掛けていた。
 昨年の正月休みに、娘がスノーボード中に転倒し左腕を骨折した。すぐに手術が施されて骨を固定する金具が埋め込まれた。それから一年経ち、金具を取り出すことになったのだ。医師からは、今度の手術は二時間程度で終わるだろうと告げられていた。
 手術室に入る娘を見送ってから、私は持参した一冊の本(永田和宏著『歌に私は泣くだらう』)を読み始めた。暇つぶしのために、書店で何気なく手に取ったものだった。
 気軽に読み始めたが、ページが進むにつれて、私の頭にある見えない鉢巻が、きつく締められていくのを感じた。頭皮一枚だけが痺れていく感覚だった。
 そこには現代を代表する女性歌人の歌があった。今まで短歌には縁がなく、門外漢の私には初めての名前であり歌だった。それはこういう歌だ。

  何といふ顔してわれを見るものか私はここよ吊り橋ぢやない      河野裕子

 蛇足ながら少し歌の状況を説明すると、女性歌人は夫の勤め先である大学病院での診察が終わり、帰宅するため夫との待ち合わせ場所に向かう。夫は待ち合わせ場所に先に着き、妻が歩いてくる姿を見守っていた。夫は診察後すぐに、診察した医師から妻が乳癌であることを知らされていた。二人は落ち合い、いつも通りの平凡な会話を交わした後、夫は職場に戻り、妻は自ら車を運転して帰宅した。その時の、夫のことを妻が歌にしたのだ。平静を装ったはずの夫は、妻に全てを見破られていたことになる。
 この歌を眼にしたとき、頭皮だけではなく全身に電気が走ったように感じた。頭骸骨の内側がスクリーンになり、三年前に逝った私の妻の闘病生活が次々と映し出された。
 私は妻から面と向かって「何て顔して私を見るのよ」と言われたことはなかった。しかし私も吊り橋を見るような顔で妻に対していたことがあったはずだ。いやことによったら毎日そんな顔をしていたかもしれない。
 妻がベッドからじれったそうに私を見つめたことがあった。あの時は「私はここよ、ここにいるのよ」と言いたかったのだろうか。
 私たち夫婦は二十九年間、同じ場所に一緒に立っていた。しかし癌は、二人の位置のわずかな間隙にくっきりとした白線を引いてしまった。生き続ける側とそうでない側とに一瞬のうちに隔ててしまった。
 いやそうではない。癌が白線を引いたのではなく、生き続ける側の人間が引いたのだ。いつだって強く正しいのは生き続ける側だという高慢な意識が線を引く。

  手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が   河野裕子

 歌人の永訣の歌には、深夜の病室に響く妻の不規則な呼吸音が蘇った。その頃の妻は酸素チューブを鼻に付けて荒い息をするようになっていた。
 ある夜中、ベッド横の私が目を覚ますと妻は静かに眠っているようだった。
 立ち上がって妻に近づくと鼻からチューブが外れていた。急いで元に戻そうとすると、妻の指が狭い空間を彷徨(さまよ)った。
「いいのよ、あんまり苦しくて、外したら楽になるかと思って……」
 と妻が小さな声で言った。
 妻の苦しさを親身になって分かろうともせず、その場を取り繕うことしか頭になかった私は「もっと一緒にいたいから」とチューブを戻した。妻はされるがままになっていた。そんなことをまざまざと思い起こされた。
 この世の息が足りない妻が、手をのべるべき相手が、こんな私であることが情けなく申し訳なかった。あれから三年経っているにも関わらず、自分の感情が抑えられなかった。廊下を通る看護師の目を盗むようにしてハンカチを目に当てた。
 私はこれから先、「私はここよ」に影響され続けるだろうと思った。今までに影響を受けた多くの言葉は、私の身体の奥で低く静かな旋律を作っている。そこへ新たに一つの音が重なり合うことになる。美しい和音に一歩近づきそうな予感がした。
          
 時計を見ると、あっという間に時が過ぎていた。娘の手術が終わる時刻になっている。
 私の顔は、吊り橋を見るように強張(こわば)っていた。そんな自分に少し慌て、急いで見えない鉢巻を緩めた。無理に、ニッと笑うと緊張が解けて、娘を見る父親の顔に戻った。