入選作品

東京オリンピック

服部雅充(はっとり・まさみつ)・59歳・千葉県

 ここに一冊の本がある。昭和39年発売の『東京オリンピック』という写真集である。大型本の部類に入るこの本は、自分の持っている本でいちばん古く、かつ最も大切にしている本である。
 昭和39年、10月10日、その日は土曜日だった。当時、土曜日は半ドンといって、学校の授業は半日、給食もなく、いわゆる4時間目が終わると下校した。その日は授業が終わると終礼時に先生がこう言った。
「みんな、今日はまっすぐ家に帰って、オリンピックの開会式を見るように」
当時、小学3年生の私にとって、オリンピックが何なのか、まして、開会式がどういうものであるか知るよしもなかった。
 家に帰り、母と昼食後一緒にテレビを見た。当時の開会式は選手の入場行進が主体であり、現在のオリンピックのようなショー化したセレモニーは全くなかったと記憶している。私はギリシャに始まり、開催国の日本で終わる94カ国の入場行進に釘づけになった。気がつくと、紙と鉛筆を持ってきて必死になって入場行進をする国の順番を書きとめていた。地理が好きで、頭では世界にはいろいろな国があることは知っていたが、実際映像で目にしたのはこれが初めてだった。感動した。時間を忘れて食い入るように見た。私はオリンピックの虜(とりこ)になってしまい、毎日、学校から走って帰るとテレビを見てオリンピックに熱中した。そして東京オリンピックの15日間はあっと言う間に終わってしまった。
 それから数カ月して、私は小学校の図書館で、『東京オリンピック』という本を見つけた。その本は大型本であり、貸出禁止の本だった。私は放課後、毎日のように図書館に通った。本を開いては、テレビで見たオリンピックを思い出し、映像に流れなかった競技や場面の写真を食い入るように見入った。いくら見ても飽きなかった。説明書きも何回も読んだ。各競技の優勝者の名前を、本を見ないで言えるまでになった。私は、59歳になる今に至るまで、この本ほど読みこんだ本は他にないと断言できる。それほど夢中になった。
 そして私はこの本が無性に欲しくなった。自分の手元に置いて、いつでも好きなときに開きたかった。しかし自分の小遣いでは到底買える金額ではなかった。当時、私の小遣いは月200~300円くらいだった。毎週買っていた少年サンデーが50円くらいだったので、月4冊買うと小遣いはほとんどなくなってしまった。1日も早く本を手に入れたい私は、父に頼むしかないと思った。当時、働き盛りの父は仕事が忙しくぴりぴりしており、私は父とほとんど口をきくことがなかった。父は私にとっては声をかけることさえ難しい怖い存在だった。私は母から父に頼んでもらおうとしたが、「自分で言いなさい」と母からピシッと言われてしまった。
 そんなある日、私は覚悟を決め父に頼んだ。
「欲しい本がある……」声がかすれた。
「何だ、漫画か?」と父。
「東京オリンピックという本だけど……」
 出版社や本の大きさを説明しようとしたが、声がうまく出ない。父はいらいらしたのか、「わかった。」と一言いって、この話はそれきりとなってしまった。
 私は最後まではっきり頼めなかった自分の意気地のなさを何度も後悔した。果たして父に正しく伝わっただろうか。父は買ってきてくれるだろうか。もう一度しっかり頼んでみようか。いやもう少し待ってみよう。小学3年生の小さい胸がはりさけそうな心の葛藤だった。しかし、それからひと月たっても父がその本を買ってくることはなかった。何年かかってもいいから自分で小遣いを貯めて買おう。そう決めた私は、できるだけ父の顔を見ないようにした。
 それからさらに半月くらい経ったある日、すっかり本をあきらめていた私は、父から白い包みを渡された。どっしりとした重量感。本だった。もしかしたらと急いで包みを破った。『東京オリンピック』だった。この本に間違いなかった。私は一瞬頭が真っ白になり、そして涙が溢れてきた。
「この本でいいのか? 会社の本屋に取り寄せてもらったので少し時間がかかった」
 父は忘れていなかったのだ。出版社も調べて本屋に頼んでくれていたのだった。
「ありがとう、ありがとう」私はその本を抱きしめながら父に何度も礼を言った。
 あれから50年経った。今でもこの『東京オリンピック』は私が最も大切にしている宝物である。本を開けると、ヘイズが走り、ショランダーが泳ぎ、そしてアベベがゴールする姿が目に浮かぶ。しかしこの本が宝物なのは、怖かった父のやさしさを私に教えてくれた特別な意味を持つ本だからである。