入選作品

「ことば」再考

中川あかり(なかがわ・あかり)・16歳・滋賀県

「マンマ」……私が生まれて初めて話した「ことば」。母は今でもその時の喜びを鮮明に覚えているそうだ。子どもが「ことば」を話し始める。これほど愛らしい光景はない。しかし「ことば」を獲得していく過程で、いつの間にか「ことば」というものが人間疎外を深める手段として化していく。「うざい」「邪魔」「面倒くさい」「きもい」。残念なことに、これらの「ことば」は次々に生まれている。誰もが多かれ少なかれ「ことば」によって傷ついた経験がある。私自身もそうだ。人は、傷つけ合うために「ことば」を獲得していくのだろうか。いやちがう。たった一言の「ことば」に心打たれ、励まされることだってある。私は「ことば」というものを、改めて考えてみたくなった。
 そこで私は「ことば」の発達という視点から、一冊の本に出会った。岡本夏木著『子どもとことば』(岩波新書)、この本には、次のような一節がある。
「ことばはもともと心と心の交わりの中から生まれ、さらにそれによって相互の理解を深める儀式として発達してきたのではなかったろうか。障害者や子どもが自分の「ことば」をはじめてひらくのは、自分が信頼し、また自分を理解してくれるその人に向かってである事実は限りなく重いのである」
 私はこの一節から、実際にあった忘れられない出来事を思い出した。
「あかりちゃん、またどうぶつえんいこな」
 私の友だちミーさんは、この「ことば」を最後にあの世へ逝ってしまった。ミーさんは、私より十五歳年上の友だちだ。ミーさんは私の誕生を大変喜び、以来、休日には必ず私に会いに来るようになった。ミーさんとのエピソードは沢山ある。動物園へ行った時には、二人が迷子になって二人で大声で泣いていたら、すぐに見つけてもらった。小学校の学芸会では、観客席でミーさんが、一緒に大声で歌い出して皆の注目を浴びた。ミーさんがいると、なぜかハプニングが起こり、その度に私たち家族は大恥をかき周囲に謝っていた。
 小学校三年生になった頃、私はそんなミーさんの事を疎ましく思うようになった。その年の学芸会の日、ミーさんは恒例のように学校へやってきた。しかし、いつもと歩き方が違う。よく見ると、背丈程のある大きなクマのぬいぐるみがミーさんと一緒に歩いている。そして私を見つけたミーさんは、大きな声で叫んだ。
「あかりちゃーん、プレゼント!」
 その日は私の誕生日だった。ミーさんは最高の笑顔で私を見つめ、クマのぬいぐるみを差し出した。私は唖然とした。いくら、誕生日だからって今日は学芸会。それも、学校にこんな大きなクマのぬいぐるみを持ってくるなんて信じられない。私は誕生日を祝ってくれる嬉しさよりも遥かに、迷惑だという気持ちでいっぱいになった。そして周りを見渡すと
「何あれ?」「えー、おっかしいー」
 クスクスと笑い声さえ聞こえる。その途端、私の心の糸は切れた。
「こんなもの、いらない。もう来ないで!」
 私はクマの人形とミーさんを力一杯押した。
 その拍子に、ミーさんはクマの下敷きになって後ろへひっくり返った。私はどうしてよいかわからなくなり、後ろを振り返ることもなく、教室へ向かって走った。
 その日以来、ミーさんは休日になっても、我が家に来なくなった。私もばつが悪く、なぜミーさんが来なくなったのか、その理由を家族に聞かなかった。そうしているうちに、来ないことが当たり前となり、ミーさんの話題もしなくなった。ところが、それから一年後、ミーさんの話題が出た。母は、泣きながらミーさんの名前を口にした。
「ミーさん死んじゃったよ。ミーさんはね。知的に障害があるだけでなく、脳に腫瘍があったの。覚えてる? 去年のあなたの誕生日。あの時持ってきてくれたクマのぬいぐるみ。ミーさん、退職金をはたいてあなたに買ってくれたのよ」
 私は、どうしてよいかわからず、ただただ涙が止まらなかった。今となってはもう、ミーさんに謝ることもできない。すると母が、ミーさんからと、一枚のメモをくれた。
「あかりちゃん、またどうぶつえんいこな」
 ミーさんの「ことば」はいつも、たどたどしかった。そんなミーさんの「ことば」を、私は自分達と比べて、未発達で不十分な「ことば」として捉えていた。しかし、私達が忘れ去っていた「ことば」の本質が、ミーさんの「ことば」の中には珠玉の如く輝いていた。たどたどしさの中に、賢明に自己表現しようとしているミーさんの姿に、私達は自分達の「ことば」の現状を見直す必要があるのではないだろうか。
「ミーさん、また動物園連れてってな」
 今の私ならミーさんに、私の思いを素直に伝えられそうな気がする。