入選作品

「塩狩峠」へ

関 巴(せき・ともえ)・82歳・静岡県

 どうしても塩狩峠を通ってみたいと真剣に思うようになった。小説『塩狩峠』を読んだからだ。クリスチャンである三浦綾子さんのこの小説は、長野政雄という実在の鉄道員をモデルに書かれたものである。北海道天塩(てしお)の国と石狩の国の国境にある塩狩峠は天塩川水系と石狩川水系の分水界上でもある。ここを列車が走る時は、前後に機関車がつかなければならないほどの急勾配なのだ。
 明治四十二年二月二十八日、この峠の急勾配を走行中、列車の連結器が突然はずれ暴走した。それを止めるため長野政雄は自ら線路上に身を投じて多くの乗客の命を救った。小説の中の主人公永野信夫はこの長野政雄という実在の人物を原型としているという。そして信夫はこの日、自身の結納のために妻となる吉川ふじ子の家に行く途中だったのだ。
 死んでしまった信夫はどんなことがあっても戻らない。ふじ子の悲しみ、信夫の無念さを思う時私の心は大きくゆさぶられ、どうしてもその峠を通ってみたいと思い続けていた。
 そんな時、定年退職後毎日好きな絵を描いていた夫が「北海道の利尻、礼文の島へ行ってみないか。花がきれいだし、いい風景に出会えるらしいよ」と言い出した。思いがけない誘いだった。もう二十年ほど昔のことである。「行く、行く、プランは私が立てるから」と心が弾んだ。
 五月末のよく晴れた日、一度乗ってみたいと思っていた北斗星で私と夫は上野駅を出発し、札幌で特急宗谷に乗り継ぎ旭川から宗谷本線に入った。
 いよいよ塩狩峠を通ることができる。現地の様子が全くわからないまま、私はゴミにならないように、自然にかえるようにと考えて小さな花束を用意した。信夫の妻になるはずだったふじ子が、殉職した信夫に捧げる雪柳を線路上に置いて泣き伏す場面があるが、その心情が切なくて、私は庭にある散りかけた雪柳の枝を二、三本花束の中に加えた。しおれないように大切に、ぬれた新聞紙に包んで旅行カバンの中にしのばせた。
 札幌を出て間もなく私は、二輌ほど後へ戻った所にある車掌室へ向かった。車内はどこも乗客は少なく静かだった。私は、『塩狩峠』という小説を読んで感動したこと、この特急電車は塩狩駅を通過してしまうので、窓から小さなお花をあげたいのだけれどだめでしょうかと車掌さんにたずねた。五十歳前後と見える優しそうなEさんというその車掌さんは「ここへ来てこの車掌室の窓から献花していいですよ。ホームのはずれに碑があるから」と柔和な笑顔を向けた。「ありがとうございます、私の座席からでもできそうですから」とお礼を言う私に、「蘭留(らんる)の次が塩狩駅ですから通過する駅も見逃さないように気をつけてくださいね」とEさんの話は続く。「事故のあった場所は小説が出てから一層関心が持たれるようになった。長野政雄の死は鉄道員としての責任感からきたもので、これまで長く語り継がれてきた。我々鉄道員の誇りなんですよ。そこへ花を捧げに来てくれる人がいるなんて嬉しいことです。ありがとうございます」と逆にお礼を言われ、こちらも大いに感激したのだった。話している間、特急はどこへも止まらず順調に走り続けた。そしてこの車掌さんは、話をしながらも、絶えず窓外や室内のあちこちに目を配り片時も緊張をゆるめることはなかった。私は職務の邪魔にならないよう厚くお礼を述べて席へ戻った。
 旭川を過ぎてから夫と二人ずっと窓外を見続けたが、蘭留までそう遠くはなかった。その駅を過ぎると山間部に入り、小説にある通り七曲りのような、しかも急勾配を登り出した。両側には樹林が迫っていて暗く、何とも言えぬ圧迫感がある。あの時代の列車なら、この勾配、このカーブは人間が走るくらいの速度だったかも知れない。下りでブレーキがきかなくなったとしたら一体どうなるだろう。想像するだけでも恐ろしくなる。
 峠が近くなって突然思いもかけず車内のスピーカーが声をあげた。「間もなく塩狩峠です。塩狩駅は通過しますが、かつて我が身を犠牲にして多くの乗客の命を救った鉄道員の碑があります」。あの車掌さんの声だ。そして列車は今にも止まるかと思うほど速度を落とし静かにホームを通過した。「塩狩峠」と書かれた標識とその奥に横長の碑が見えた。夫が上まで開いてくれた窓から私は碑の端の土の上目がけて小さな花束を捧げた。ほんの少し雪柳の白い花びらが風に舞ったように見えた。ふじ子が雪の上にうつ伏して泣いているような錯覚におそわれた。いつの間にか列車はスピードをあげ、何事もなかったかのように北へ向かって走り続けていた。