入選作品

朗読を通して見つけた私の多文化交流

山極尊子(やまぎわ・たかこ)・31歳・韓国在住(埼玉県)

「お話がはじまるよ~!」
 公民館に日本語が響き渡ると、子供たちは一斉に本を読む手を止め、目を輝かせながら私の前に座った。ここは韓国にある、とある田舎の公民館。私は一ヶ月に数回、そこで子供たちを対象に日本語の本を朗読しているのだ。当初、緊張気味だった子供たちは、今ではすっかり私になつき、かわいい笑顔を見せてくれる。その笑顔を見ると、私はこのボランティアにやりがいと喜びを感じる。そして二年前、私に泣きながら本の朗読を頼んだ、ある少女のことを思い出すのだ。
「すみません、日本人ですか」
 喫茶店でコーヒーを飲んでいた私に、ある少女が流暢な日本語で話しかけた。
(ああ、日本語の本を読んでいたから、ばれたのか)
私は読んでいた小説に目を落とし、げんなりした。当時の私は、自分が外国人扱いされることが本当に嫌いだったのだ。確かにここは片田舎。外国人だって珍しい。それでも何かするたびに「どこの国の人?」と興味津々に聞かれたり「あの人外国人だよ!」と指をさされることに、私は心底疲れていた。
(日本語を勉強したいのかな)
 少女の出方を伺っていた私だが、彼女の口から出たのはなんとも予想外な言葉だった。
「子供たちに日本語の本を読んでください」
 いきなりのことで困惑する私に、少女は「妹がいじめられているんです」と話を続けた。話を聞くと、少女の父親は日本人で、一年前に事情があって韓国人の母と妹の三人で韓国に来たという。そして妹が、時折口をついて出てしまう日本語が、幼稚園の友達にはおかしく聞こえるらしく「宇宙人」とからかわれているのだと言った。
「妹のために、本を読んでくれませんか」
 少女は、私の前でぼろぼろ涙を流した。彼女は、私が日本語で本を読めば、妹がからかわれることもなくなると思ったらしい。私は少女の妹を思う姿、そして何より特別な視線を向けられている妹の心中に共感し、少女の頼みを聞いてあげることにした。
 朗読会当日。私が幼稚園に行くと、ホールにたくさんの子供たちが溢れていた。私が、おはようと挨拶すると、みんながざわざわと騒ぎだした。私は日本語であいさつしながら椅子に腰掛け、ゆっくりと『つるのおんがえし』を読み始めた。私が日本語で朗読し、幼稚園の先生は、少女が翻訳したノートを見ながら韓国語で朗読した。時がゆっくり流れた。さっきまで大騒ぎしていた子供たちは、おもしろいほど絵本に釘付けになった。朗読後、幼稚園の先生が「楽しかったか」と尋ねると、子供たちは口々に「楽しかった!」と言い笑顔を見せた。そして、私が少女の妹に「おもしろかった?」と尋ねると、妹は日本語で「おもしろかった!」と答えてくれた。その瞬間、子供たちは私と妹が日本語で話したことに驚き「お~! すごい」と歓声をあげた。私はその後も朗読会を開いた。本来素直な子供たちは、どんどん私に順応し、なついていった。同時に少女の妹も積極的に日本語で話すようになっていた。後に少女から、妹がからかわれることが無くなったと聞いたとき、私の心は言い表せない達成感で満ちていた。
「人に必要とされ、自分にしかできない何かをしたい」
 これは、渡韓前、東京で銀行員をしていた私が退職日に日記に書いた志である。給料、生活、特に不自由なく暮らしていた私は、自分にしかできない何かを求め、齢三十を目前に日本語教師という道を選んだ。慣れない仕事や海外生活で、本来の自分を完全に見失っていた私にとって、少女との縁は私に新しい志をつくってくれた。
 今後、国際結婚の増加にともない、少女のような悩みをもつ家庭はさらに増えることだろう。これからは多文化共生の観点から、外国人を地域住民の一員と認め、疎外感を感じさせない環境づくりを目指すべきだ。私は国際理解教育の一貫として公民館で本を朗読することを市に提案し、活動を始めた。現在、私は日本文化を紹介する絵本づくりや日本語の本の翻訳などを日本語の授業に取り入れている。そして週末には翻訳した絵本や手作りの本を利用して、生徒と一緒に公民館で本を朗読している。生徒も学んだ日本語を生かせると喜んでおり、私の授業はなかなか評判がいい。
 私は今、この田舎で有名人だ。生徒たちは日本に「先生の日」がないと知ると、日本語に変えて感謝の気持ちを歌ってくれるし、道を歩くと、子供たちが手を振り挨拶をしてくれる。私は志をもって行動すれば、国は違えど私を認めてくれる人が必ずいるということを学んだ。私は微力だ。それでも、子供たちが大人になったとき、他国を思いやれる真の国際人になれるよう、これからも本の朗読を通して多文化交流の理解を深めていきたい。