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洟をたらした神、そして姑と私 _読書エッセイ

佳作

洟をたらした神、そして姑と私

鈴木禮子・福島県・68歳

 出荷キュウリの箱詰め作業が一段落し、畑に出る前の午後のひと時を新聞に目を通していた時の事です。楽しみコーナーである、シリーズ“ふくしま人”に、開拓に一生を捧げた農民作家、吉野せいが載っていました。「あら、吉野せい!」思わず声が出てしまいました。と同時に、昭和五十四年が明けたばかりのあの日の光景が懐かしく蘇ってきました。 
 当時私は農家の嫁として奮闘中。家族は舅、姑、夫、保育園、小学低学年の男児二人、それに私の六人です。地区内では中規模の農家で、椎茸栽培を主とした多角経営で成り立っていました。舅、姑は七十歳前後でしたが、まだまだ血気盛ん。朝日と共に畑に出、夕闇が下りる頃まで、夫と共に精力的に農作業をこなしていました。
 小正月の団子飾りで、いつもは殺風景な部屋の中が、どこやら華やぎに満ちていたある日、姑とする出荷椎茸の箱詰め作業が済み、ほっと一息の時間を共にお茶を飲んでいた時の事です。はらはらと舞い下りる窓外の雪を見るともなく見ていた姑がぽつんと言いました。「北海道の雪はこんなもんじゃねがったな、社宅から馬ソリに乗って、よく町さ買い出しに行ってだ頃の事思い出すなぁ」。興味津津の私に、姑は、戦前、舅と共に過した約十年間の某牧場での社宅暮し、内地に引き揚げてきてからの苦労。六人の子の育児に寝食を惜しんで奮闘した日々の事などを話してくれました。「内地に引き揚げてきた時はな、杭一本自由に打ち込む土地も無がったんだどぉ」。聞き入る私は、姑の体験の数々が数日前に読み終えた『洟をたらした神』の著者、吉野せいの人生にだぶってくるのを感じました。
 著書の中に『梨花』という一編があります。医者にかけるゆとりもなく、生後七ヶ月位で亡くしてしまった愛娘を悼む文章があまりにも哀れで、切なくて、せいの慟哭が私の胸に満ちて、私まで涙してしまった一編です。姑も話の中で、二女が幼い時に百日咳にかかってしまった事に触れ、「父さんと必死に看病したなぁ。夜通し抱いてた時もあった。持ち直した時は嬉しくて何とも言いようがなかったなぁ」と言っていました。私は思い立ち、姑に読み終えたばかりの本の話をし、「姑さんと吉野せいはど根性人生だね。んだけど私、梨花を読みながら泣いちゃった」。すると姑は意外にも「読んでくれ」。そして、読み終えた私にただ一言、「惨めな話だな」だけ。私は少しむっとなり、姑には他人に対する哀れみはないのかなと思ったのですが、ふと見た姑の瞳に涙を見た瞬間、さり気なく目を外らしてしまいました。姑は、地区では誰もが一目おく烈婦です。婦人会の会長を努めたり、簡易裁判所の調停委員を努めたりと、生活の苦労を凌ぐ迫力の持主でした。こんなぺんぺん嫁に涙を見せる不覚は姑には不似合いでしたから。
 舅はとり分け姑に優しい人でした。その舅が平成十三年に九十七歳で亡くなり、姑はその五年後に九十八歳で他界しました。晩年、四年近くをベッドに頼る生活になり、私は介護をしながらの農業になりました。
 二人の息子は社会人となり、一人は家を離れています。ある日、食事の世話をしていた時、姑が言いました。「禮子にこんなに世話をかける事になるなんて思ってもいねがった。有難う禮子。死んだら母さんがしっかり守ってやっかんな」。気にもかけず「はいはい、んだけど、もう少し食べねげ本当に死んちまうよ」なんて言ったものでした。早いもので、姑が逝ってからもう六年が過ぎました。
 あまりに暑くて、畑に出るのを伸ばしていたら、隣り地区の義姉がジュースやら惣菜を沢山持って入って来ました。「いつも有難う、今夜のおかずはこれで決まり! 私は手抜き料理ばっかりで主婦業失格だ」。すると義姉は、「何言ってんだ。俺は、禮子ちゃんが痩せてても病気もしねえで頑張ってられんのは母さんが守ってんだねえがど思ってんだど。床擦れも出さねで、いつも清潔にしてくれてたのは俺ら兄弟より母さんが一番分ってっぺ」。
 私ははっとし、そして今更に納得しました。そうか、姑さんが守ってくれるとはこの事だったんだなぁ。姑はよく言ってましたから、「禮子、最後の栄冠は健康に有りだど」と。
 時として、経てきた体験から滲み出る険しい態度を恐い! と思い、距離をおいてもいた私でしたが、この年になってやっと、タスキを託して逝った姑の思いがしみじみ理解できます。姑も、文中短編『私は百姓女』の誇りを生き切った女性でした。
「あんまり無理すんな」と言いおいて義姉が帰り、次いで私も、先に畑で励んでいる夫にもと、会社員の息子が買いおいてくれてたアイスクリームを手に戸外へ。
 ペダルをこぐ私の背に真夏の太陽は容赦がありません。原発事故の風評で福島産キュウリの価格は散々です。長い長いトンネルです。
 負げんな! 姑の、そしてせいの声がしたような気がして、思わず私は応えていました。
 「負げねよ!」。
 恥ずかしながら私も百姓女。

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