入選作品

予期せぬ誤算

岡田マチ子・58歳・大阪府

 高校を一か月で中退した夫と結婚した。価値観の違いは分かっていた。理屈っぽい女には案外似合うかもしれない。そう思って友人の紹介による結婚だった。
 いざ、結婚してみると何もかもが対極にいる男性だった。青春とは? 恋とは? 人生とは? そんな疑問を読書に求めた人間には理解出来ない人間性の持主だ。良く言えば豪放磊落、悪く言えば脳天気。
 驚いたことに、今まで本を一冊も読んだことがないと言う。「本なんか読んでる人間は理解出来ない」。びっくり発言には参った。「本なんか」の「なんか」とは何たる発言!  
 読書のうんちくを披露しようとしたが断念。聞く耳を持たないと判断したからだ。とはいえ、心の底では読書に親しんでほしかった。というのも、夫の言うこと、書くことに多少、問題ありと感じたからである。発言に深みがない。奥行きがない。軽い。漢字を知らない。誤字が多い。筆順は滅茶苦茶。言動の微修正を求めて、読書を勧めた。案の定、一笑に付す。
「おれ、本で得た知識なんか信用してない。裸一貫で十五歳の時から働いてきた人間や。実体験がおれのすべてや」
 なるほど、立派な哲学だ。互いの価値観の押しつけはよろしくない。外出先で「コーヒーが飲みたい」と言った時、夫はしゃあしゃあと言った。「同じ値段やったら、うどん一杯のほうが実用的や」。こちらが雰囲気を求めている時、夫は実用を求める。ダメだ、こりゃ。とはいえ、読書のもたらす至福を夫に分かってほしい。そんな思いは消えないでいた。結婚三年目だったか。ふと母の言葉を思い出した。
「お母ちゃんは中学一年で、夏目漱石の『坊ちゃん』で文学の洗礼を受けたわ」
 洗礼にはこう意味が含まれる。その後に影響を与える初めての経験。一か八か、夏目漱石の『坊ちゃん』を買って夫に勧めよう。これで駄目なら諦める。悲壮な覚悟が通じたのか。「ふーん」といささか興味を示した。「置いといて」と言ったきり、読むとも読まないとも言わない。当時、夫は三十歳。目を輝かせて飛びつくわけがない。
 夫の仕事はバルブ業界の営業マン。十五歳から働き始めた男である。義母はよく言っていた。
「人間、お金を稼ごうと思うたら、まず資本金を出すことや。お金がなかったら、知恵を出す。知恵がなかったら汗を出すしかない。そやから十五歳で、知り合いのマネキン会社へこの子を預けたんや」
 迫力のある実母に逆らわず、一生懸命働いてきた夫である。結婚当時、ミスマッチと何人かから言われた。重い性格の女が、軽い男に魅かれたという図式である。
『坊ちゃん』を推薦した三か月後、街路樹が紅や黄に染まり始めた頃である。
「坊ちゃん、読んだで」
 夕食時に夫がなにげなく言った。
「どうやった?」
 おそるおそる訊ねる。
「まあ、面白かったかな」
 ああいえばこう言う天邪鬼な夫にしては、ぎりぎりの感情表現だろう。赤シャツ、マドンナ、うらなり、それに山嵐の話を夫と交わす。結婚以来、初めての読書談義である。
 この話を実家の母に報告した。
「多感な時期に読んでこその『坊ちゃん』や。三十歳で同じ感動を求めるのは無理がある」 
 ところが、夫は急に読書に目覚めた。次々に本を読み始めたのである。それも歴史小説。宮本武蔵、平家物語と読破していく。通勤途中、降りるべき停留所も乗り過ごしてしまうほどだ。
 あの頃から三十年近くが流れて過ぎた。夫は今、『壬生義士伝』を読んでいる。感動した文章の件を、感想を交えて説明する。二人の子どもが巣立ったあとの静かなひとときである。今では夫はこう言う。
「電車でスマホのゲームするより、みんな本を読んだらええんや」と。
 先日、改めて『坊ちゃん』について読後感を話し合う。
「痛快青春小説であると同時に、社会の負け犬の哀しい話と捉える評論家がいる」
 夫は頷く。以前の夫からは考えられない、しなやかな心だ。
「おれ、いつかおまえが感動するよう話を読書して身に着けるわ」
「もう十分感動してるよ」
「いや、まだまだあかん」
 夫の激変に戸惑う。人間、変われば変わるものだ。
 頑なな心を溶かし、温め、柔軟にし、ついには新たな発想を生み出す。読書は偉大なり!