入選作品

セシウムとサンタクロース

後藤のはら・15歳・秋田県

 祖父の家には図書館がありました。三十畳ほどの部屋は「音楽堂」と名付けられ、たくさんの絵本とピアノとエレクトーンが置いてありました。洗剤で荒れた指と豪快な性格からは想像できないけれど、ここで若い頃の母は音楽教室を開いていたそうです。月謝が入るたびに絵本を買い、村の子どもたちに開放していた私設図書館。その後、二度閉館することになります。
 一度目は母が結婚して、音楽教室をやめることになったとき。図書館として開放し続けようとしたら、心無い人に売名行為と陰口を叩かれたり、町役場の人に「行政の文化施策の遅れに対する挑戦に受け取られる恐れがあるし、無届で人を集める行為は法令違反」と指導されたり、ややこしいことに巻き込まれたくないからと閉めたそうです。私と妹が生まれ、いとこたちも生まれ、十年ぶりに音楽堂のドアが開けられました。
 毎週秋田から車を飛ばして祖父の家に行き、本を読むのが楽しくて楽しくて、祖父が作ってくれたブランコに乗って読んだり、図書館に置かれたバランスボールに乗ってゆらゆらしながら読んだり、思い出すたびにほっこりしてきます。せっかくの音楽堂なのに、私は楽器を弾くより母の弾くピアノの音をBGM代わりに聴きながら絵本を読むほうが好きでした。
 それが原発事故で祖父の家が強制避難区域に入ってしまい、住めなくなったのです。二度目の図書館閉館です。一時帰宅許可が出て、真っ先に本を取りに行きたいと私はお願いしました。残念ながら十五歳未満は入れないと言われ、諦めました。二巡目、三巡目の一時帰宅許可で少しずつ思い出の本を持ち帰ってきてもらいました。でも、やっと自家用車が乗り入れできるようになり、本箱ごと持ち出そうとしたら放射線測定器に引っかかってしまい、今もそのままになっています。セシウムがくっついてしまった本は汚染物質という悲しい名前で呼ばれるようになったのです。ついこの間まで、「絵本」「図鑑」「文学全集」とそれぞれの名前で呼ばれていたのに、雨漏りで腐った家具や布団や瓦礫と一緒くたに「汚染物質」とは…。
 叔母が最初に持ち出してくれたものの中に、『サンタクロースっているんでしょうか』という本が入っていました。去年のクリスマスは、被災者受け入れしていた我が家には祝う余裕もなく過ぎていきました。今年は仮設住宅に移ったいとこたちを招待して、久しぶりの読書会を開こうと思っています。いとこたちに大切なものを思い出してほしいから。
「この世の中に、愛や、人への思いやりや、真心があるのと同じように、サンタクロースも確かにいるのです」
 臭くないし、普通に呼吸できるし、痛くないのに、本当にセシウムって危険なの? と尋ねる小さな子たちに、目に見えなくても存在するものはあるのだと教えなくてはいけない辛さ。今は平気でも何年後かに発症するかもしれないなどと、悲しいことだけ話すのは嫌。何か夢を見られるような、希望が湧いてくるような話はないのかな? そう考えていた私にこの本はぴったりでした。
「サンタクロースを見た人はいません。けれども、それはサンタクロースがいないという証明にはならないのです。この世界で一番確かなこと、それは子どもの目にも、大人の目にも、見えないものなのですから」
 セシウムは見えないし害があります。でも、目に見えないという点では同じだけれど、サンタクロースには夢があります。
 我が家の絵本類を支援物資として提供したとき、届けてくれたボランティアさんは言っていました。
「震災で全てを失った子どもたちは、電池切れのないほぼ永遠のエネルギーを蓄えた絵本の存在を思い出し、絶望を忘れようとするかのように読みふけっていたよ」
 本当に大切なものは失ったときにしか気付かないのだと震災と祖父の死で感じました。でも、予言はできなくても備えあれば憂いなし。希望は生まれます。絵本を読むことは希望の備えなのかもしれません。
 八歳の少女バージニアの『サンタクロースっているんでしょうか?』という素朴な質問に、ニューヨーク・サン新聞の記者が社説で答える形で掲載されたのは、一八九七年九月のことだそうです。彼女は教師となって天寿を全うし、幸せな生涯を送りました。
 私のいとこも両親の跡を継いで教師を目指していました。今は投げやりになっていますが、夢を思い出して諦めないでいてほしいから、私からのクリスマスプレゼントはこの本にします。彼女の質問がアメリカで最も有名な社説を書かせるきっかけになったように、いとこをはじめ、震災や事故や病気で希望を失っている人たちに、何か嬉しい「初めて」を生み出してもらえるようになることを祈って。