入選作品

午前三時の〝読書会〟

米澤泰子・57歳・福岡県

 数年前に実家の母が入院し、父の世話をするために姉と交代でしばらく実家に泊まりこんだ。当時八十を過ぎていた父は足が悪く、家の中でも杖が手放せなかった。早めの風呂と夕食をすませた父は、九時過ぎには早々と床につく。翌朝の準備をすませ、一日が無事おわったことにホッとして父の隣の部屋でやすんでいると、真夜中に「泰子、泰子」と呼ぶ声がする。母や姉から、夜中にトイレに起きるので、寝ぼけて転ばないように介助してあげてと言われていたので、父の片脇を抱えるようにしてトイレにつれていく。再びベッドにもどった父はすぐには眠れないらしく、小さなため息をついたり寝返りをうつ気配が隣の部屋まで伝わってくる。
「この世で一番大切な人」と公言してはばからない母の病気が心配でならない上に、自分も体が弱っていくのが心細いのだろうと思って「お父さん眠れないの?」と聞くと「あぁ」と小さな声がする。ただでさえ暗く不安な真夜中に、年老いた父があれこれ心配するのが可愛そうになって、何か話でもしようかと再び起き上がって、父のベッドのそばの椅子に腰をおろした。すると父は、「泰子、夜中に悪いが何か本を読んでくれないか」と言い出した。「本?」意外な言葉に私は思わず聞き返した。「ああ、最近は目が悪くなって本も読めないし、新聞も見出し以外はお母さんに読んでもらっている。なんでもいいからお父さんの本棚の本をちょっと読んでくれるとうれしいが…」
 そういえば父は本が好きで、実家の本棚はぎっしりと本で埋まっている。祖父が事業に失敗して上の学校に行けなかった父は、その悔しさを埋めるかのように暇さえあれば本を読んでいた。私たち姉妹にも「心おきなく本を読める時代は幸せだ」と言って学校の勉強よりも読書を勧めた。幼い頃、夕食後のわが家はいつも絵本タイムで、父の膝の上でくり返し読んでもらった絵本の一節は、その懐かしい抑揚とともに、大人になった今も耳に残っている。
「本? 何の本がいいの?」「何でもいいからちょっと読んでくれ」。私は玄関わきに置いてある本棚からあれこれ迷った末、中勘助の『銀の匙』をとりだした。この本は高校生の頃「人の心の中の一番美しいものがつまっている」と、父からぜひにと勧められて読んだものだ。
 本と電気スタンドを持って、父のそばに戻ると、枕元の時計は午前三時をさしている。「私の書斎のいろいろながらくた物などいれた本箱のひきだしに昔からひとつの小箱がしまってある…」と読み始めると父はニコッとして「ああ『銀の匙』だな」と嬉しそうに言った。しばらく読み進むうちにいつの間にか、父は安心した表情で目を閉じている。「お父さん」と小さく呼んでも返事はない。父の寝息を確かめてそっと電気スタンドを消して私は自分のベッドに戻った。こうして、父と私の二人だけの午前三時の〝読書会〟は始まった。
 翌日もそして翌々日も、ふしぎなことに父が目をさますのは決まって午前三時頃だった。トイレからベッドに戻った父は、それが何年来の習慣であるかのように、「今日も『銀の匙』を頼む」と言った。あくびをこらえながら昨日の続きを読んでいると、父は芯から安心したような満足げな表情で聞き入り、やがて小さな寝息を立て始める。何度も繰り返し読んだであろう『銀の匙』の一節一節が、父をひと時の子ども時代の安らぎに導いてくれているかのようだった。
 電気スタンドの灰白色の光の輪が暗闇にボワーッと広がって、見慣れた部屋の中も別世界のようだ。寝入った父の肌布団を軽く押さえながら、そういえば子どもたちが小さかった頃、やはり夜中にこんな風に掛布団をとんとんしたことをフッと思い出して、目の前の父の年老いた姿がたまらなくいとおしく感じられてならなかった。
 私は毎日昼食の片づけが終わるとすぐにソファで仮眠をとって、真夜中の〝読書会〟に備えた。声に出して読んでいると、父に勧められて高校時代に一読しただけの『銀の匙』の中の、明治の風俗や人情が活き活きと立ち現われてくるような気がした。目で読むだけでは気付かなかった作品の細部のしっとりとした息遣いまで感じられて、私は音読のすばらしさに改めて目をみはった。
 この父と私のささやかな〝読書会〟は、やがて病癒えた母の退院で中断した。『銀の匙』はまだ四分の一ほど残っていたが、父は何も言わなかった。父はその後、元気になった母と穏やかな日々を送り、この二月に九十歳で安らかに逝った。
 父と私の午前三時の〝読書会〟は永遠に未完のままで終わったけれど、父が教えてくれた読書のさまざまな楽しみは私の心の中で、懐かしい父の思い出とともに、いつまでも色あせずに残っていくことだろう。