入選作品

私はジョバンニだよ

白石恵子・49歳・群馬県

「お姉ちゃん入院になるんだって? じゃヒマだろうから本でも持って行ったら?」
 妹が私の本棚を指さした。そこには集めただけで読んでいない本がたくさんあった。私は棚の本を適当にバッグに詰めた。
 私は胃を患って、ものも食べられず点滴生活になっていた。その入院の間、持ってきた本をパラパラめくっていたが、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』があるのに 気づくと、それをじっくり読み始めた。この本は学生時代に一度読んだことがある。でも当時はあまり心に残らなかった。二十五歳になって初の入院という時に 読み返してみると、味気ない病室に宇宙が広がる思いだった。私は何度も読み返して言葉の美しい表現に酔ったものだ。退院してから積んであった本を次々読み 出した。読書のおもしろさがやっとわかってきたような気がした。
 その翌年のことである。今度は妹が入院した。突然のガン宣告。まだ本人に告知しない時代だった。家族はパニックになったがまだ二十一歳の本人に詳しいことは話せず、悪い出き物が出きたから手術だよ、とぼかしていた。
 妹は不安がったが病棟に同じような症状の仲間がいるとわかると、病と闘う意思をしだいに強くしていった。
 抗ガン剤の治療が始まる頃になって、妹は本をたくさん読みたいと私に伝えてきた。私は自分が入院した時に持っていった倍の量の本を妹の病室に届けた。本 来妹は読書はあまり好きでなかったため、何の本を届けてよいかもよくわからなかったが、家にある本はほとんど送ってしまった。本と一緒に漫画本も何冊か入 れた。
 治療がひと息ついた頃、妹から電話がかかってきた。
「今まで私、読書をすることってあまりなかったけれど、すごく損をしていたと思ったよ。たくさんのすてきな本をありがとう。本を読んでいると時間を忘れる ね。お姉ちゃんが送ってくれた中で一番のお気に入りも見つけたよ。『銀河鉄道の夜』だよ」
 妹は漫画本よりも想像力をかきたてる文庫本の方が読んでいて楽しいと言った。『銀河鉄道の夜』のどこがよかったのかときくと、
「『銀河鉄道の夜』は深いよ。いろいろ考えちゃった。私ね、ジョバンニになるの。どこまでも旅をできるジョバンニになりたいの」
と、歌うように答えた。
 ああ、あの本はジョバンニと友人のカンパネルラとの別れを描いているものであったなと思うと、治らない病気の人に読ませてよかったのだろうかと考えた。 しかしこの本をきっかけに妹の読書熱が芽生え、病院から新しい本の注文の電話がたびたび入った。私は本屋に出かけ、両手で抱えきれないほどの文庫本を買っ ては妹に渡した。
 一年半後、我が家には妹の荷物だけが帰って来た。妹に渡したたくさんの本は主をなくし、私の本棚のわきに積まれた。一冊ずつ手にとって、妹はどんな気持 ちで読んでいたのだろうかと私もページを操った。しおりがはさんである本もあった。中でも『銀河鉄道の夜』は繰り返し読んだらしく、ボロボロになってい た。私は妹を亡くして初めてジョバンニの悲しみがわかった気がした。同時に妹の「私はジョバンニになりたい」の意味も痛いほどわかった。
 妹は自分の病状がわかっていたんだね。そして自分を天空の汽車から地上に帰ってくるジョバンニにあてはめていたんだね。
 妹はどんな気持ちで本を選び、読んでいたのだろう。治療が始まったばかりの頃は、病気のことも軽く考えていてヒマつぶし程度に思っていたらしく、長編の ものを多く読んでいたようだった。しかし病気が進んでくると軽く読める明るい話や笑える本を注文するようになった。せめて本を読んでいる間だけでも現実の つらさを忘れたいと思っていたのだろうか。
 私の入院は軽い病だった。それでも入院生活はなにかと落ち込むものである。妹のつらさは私の比ではなかっただろう。たくさんの本を次々と欲しがった妹は、読書に救いを求めていたのかもしれない。
 読書で少しでも楽しいひと時を過ごせたなら、妹も、本にとっても幸せなことだろう。